2011年11月16日水曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 3章14~22節 ラオデキヤの教会への手紙(その1)

ラオデキヤの教会への手紙 3章14~22節
 
  
ラオデキヤは交易路に面した富裕な都市でした。
西暦60年、この都市は地震で崩壊しました。
しかし、「ヨハネの黙示録」が書かれた頃には
ラオデキヤは再建され、経済的な豊かさを誇っていました。

イエス様はラオデキヤの教会に向けて、「アーメン」という言葉で話し始められます。
アーメンはヘブライ語で、「まことにそのとおりです」という意味です。
たとえば、他の人の話を聴いた後で、「アーメン」と言って、
その話が正しく信頼できるものであることを証することができます。
イエス様が「アーメン」と言われているのは、
イエス様が言われることすべてを「アーメン」という言葉で受け入れることができる、
という意味です。
イエス様のなさるお話は常に真です。
「神様のお造りになったものの始原」は、
「ヨハネの福音書」の冒頭で御言葉についての言及と同じことを意味しているのでしょう
(「ヨハネによる福音書」1章3節)。
イエス様は天地創造に参与され、
御子を通して父なる神様は万物をお造りになったのです。
 
ラオデキヤの教会は、サルデスの教会と同様に、イエス様から厳しく諌められています。
この教会はもはや主と共に戦う教会ではありませんでした。
鈍く、無関心で、生ぬるく、まったく落第点の教会に成り下がっていたのです。
サルデスの教会と同様に、ラオデキヤの教会も、
「うちの教会はすべて順調だ」、と勝手に思い込んでいました。
教会は自分の豊かさを誇ってさえいました。
ところが実際には、
教会はひどく哀れで、貧しく、盲目で、裸のような状態だったのです。
ラオデキヤの教会へのイエス様の言葉は、
スミルナの教会への言葉とは正反対のものでした。
スミルナの教会は外側からは貧しく惨めに見えましたが、
実際には豊かでした。
その教会には、ラオデキヤの教会には欠けていた「最大の富」があったからです。
 
ラオデキヤの教会はイエス様にとって役に立たない教会でした。
それは冷たくもなく熱くもありませんでした。
冷たい水には、それならではの大切な用途がありますし、それは熱い水の場合も同じです。
生ぬるい水は、置きっぱなしになっていて、使い道がなくなった水のことです。
ラオデキヤの教会はまさにその生ぬるい水のような教会でした。
それは味気がなくなり、
神様の教会に与えられている大切な使命を果たすことができなくなっていました。
それゆえ、イエス様は、
「このままでは、あなたたちの教会を私の口から吐き出して、
私に属する人々の群れから除外しますよ」、
と厳しく言われるのです。

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