「ヨハネによる福音書」17章
第17回目の質問
来るべき受苦を前にして、イエス様は大祭司としての祈りをなさいます。
1)どうしてこの祈りは「大祭司の祈り」と呼ばれるのでしょうか。
2)「ヨハネによる福音書」はイエス様の真の本質について、
例えばロゴス賛歌(1章1~18節)で美しく語りました。
イエス様は唯一の御子、神様から生まれた独り子です(1章18節)。
それなのに、なぜイエス様は天のお父様に祈られるのでしょうか。
3)6節から始まるこの章の主要部分で、
イエス様はまず御自分が教え子である弟子たちについて祈られ、
それから続いて、
後にイエス様の道に従ってくることになる人々のために祈られました。
イエス様がこのように祈られていたときの状況がどのようなものであったか、
考えてみてください。
4)6~19節で、イエス様は
その当時のキリスト信仰者たちのために祈られます。
この箇所をもう一度丁寧に読んでください。
そして、それをロゴス賛歌(1章1~18節)と比較してください。
どのような共通点をあなたは見つけますか。
5)なぜ、ユダは正しい道から外れてしまったのでしょうか。
なぜ、他の弟子たちはそうならなかったのでしょうか。
6)私たちの時代には、
真理をめぐる議論がしだいに激しさを増してきています。
例えば、聖書の神様を信じるかどうかには関係なく、
人間全員にとって真であるような、
信仰に属することが何か存在するのか、
という問いかけです。
無神論者、ヒンズー教徒、
教会の教えとは異なる考え方をするキリスト教徒などを念頭において、
この問題を考えてみてください。
「彼らを真理によって聖別してください、あなたの御言葉は真理です」
(17章17節)というイエス様の御言葉は、どういう意味でしょうか。
7)教会について、イエス様は天のお父様にこう祈られます、
「お父様、あなたが私の中におられ、
私があなたの中にいるのとちょうど同じように、
彼らが皆ひとつとなることを、私は祈ります。
このようにして、彼らもまた
私たちと共にひとつとならなければなりません。
それは、あなたが私を遣わしたことを世が信じるようになるためです」
(17章21節)。
現在、キリストの教会は
数え切れないほどの教会が世界中に離散している状態にあります。
上述のキリストの御言葉はどういう意味なのでしょうか。
教会はひとつであるべきで、そのためにどうすべきか、
ということを教えているのでしょうか。
どんなにひどい教師であっても、
誰からも妨げられずに好き勝手に教えてよい、ということでしょうか。
達成されている教会の一致、
一致しなければならないというプレッシャー、
また分離しなければならないというプレッシャー、
がどの程度あるか、それぞれ評価してみてください。
キリストの教会は、
どこから教会の一致の基を見つけることができるでしょうか。
8)24~26節は、教会の真の目的を提示しています。
それは神様の栄光です。
これは、あなたにとってどういう意味を持っていますか。