「この方に属する人々はこの方を受け入れませんでした」
18章19~24節
これまでに私たちは、「ヨハネによる福音書」の読者として、
人間はこの世に神様が遣わされたまことの光を
見ることができないほど盲目である、
ということを学びました。
神の選ばれた民(ユダヤ民族)の代表者であるアンナスは
真理を見ることができず、
状況を正しく把握する能力にも欠けていました。
そのため、イエス様は虐待を受け、
捕縛されてカヤパのもとに送られることになりました。
福音書の記述から察するに、
イエス様は一晩中そこで縛られたままでした。
この箇所の「ヨハネによる福音書」の描写は、
とりわけ「ルカによる福音書」のものと合致します。
イエス様や使徒たちがファリサイ派の人々と出会ったときには、
さまざまな問題について激しい議論が戦わされました。
にもかかわらず、そうした論争には、
たとえ意見が違っていても互いを論敵として認め合う、
という関係がありました。
ところが、神殿の祭司階級を代表するサドカイ派の人々との関係は、
それとはまったく異なっていました。
ファリサイ派のシモンのように(「ルカによる福音書」7章36~50節)
サドカイ派の誰かがイエス様を自分の家の食事会に招待する
などということは、およそ想像もできないことでした。
サドカイ派の人々や大祭司たちがイエス様の御許にやって来た時には、
真っ当な論争などにはなりませんでした
(「マルコによる福音書」12章18~27節)。
まさしく彼らこそが、
イエス様とイエス様のことを証する人々を積極的に死に追いやったのです。