2013年11月25日月曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 18章28~38a節 ピラトの尋問(その1)


ピラトの尋問 182838a節(その1)

ローマ人は
ユダヤ人に自律した支配権を広範囲に認めていましたが、
きわめて重要な決定事項に関しては
依然として裁決権を保有していました。
こうした決定事項の中には、死刑の宣告も含まれていました。
そうした理由から、
イエス様はローマ人の総督の手で裁かれることになったのでした。


ポンテオ・ピラト(Pontius Piratus)は
ユダヤ属州総督を西暦2636年の間に務めました。
彼がこの職に任命されたのは、
皇帝ティベリウスの信任厚い親衛隊長官(Praefectus praetorio
ルキウス・アエリウス・セイヤヌス(Lucius Aelius Seianus)の
あからさまな反ユダヤ主義的な政策の一環であったと思われます。
当時のユダヤ人たちが残した資料によると、
ピラトは残虐で、
しばしばユダヤ人を故意に侮辱する行動を取る支配者でした。
ついには過酷さの度が過ぎて、
彼の直接の上官であるシリア総督ウィテッリウス(Vitellius)によって罷免され、
引責のためローマに召還されました。
おそらくそこで彼は39年に自殺したものと思われます。
イエス様の受難史に描かれている出来事の頃、
ピラトの立場は度重なる失策のために危うくなっており、
さらには彼の擁護者だったセイアヌスも
反乱の罪ですでに処刑されていた可能性があります
(セイアヌスの処刑は31年)。
ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人たちは、
そうして生じたごくわずかの政治的な自由を行使して、
このような不安定な状況の中で小利を稼ぐ達人でした。
上述のことを念頭に置くと、
なぜローマの地方総督ともあろう者が
優柔不断な態度をとる存在として福音書に描かれているのか
が納得できます。
ピラトにはもはや政治的な過失を重ねる余裕がなかったのです。

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