捕らえられるイエス様 18章1~14節(その1)
「ヨハネによる福音書」は、
ゲッセマネでのイエス様の祈りの戦いについては語りません。
イエス様がおられた園の名さえ記していません。
すでに扱った箇所(12章23~33節)には、
この出来事と内容的に関連する大切な記述が残されています。
すなわち、
御父は御子に杯を与えられた、御子はそれを飲み干さなければならない、
ということです。
「マルコによる福音書」14章36節で、
イエス様が自分のもとから退けられるように祈ったこの杯は、
「エレミヤ書」の次の御言葉を思い起こさせます、
「この怒りのぶどう酒の杯を私の手から取り、
私があなたを遣わすあらゆる国民にそれを飲ませなさい」
(「エレミヤ書」25章15節)。
イエス様の使命は、
全世界のために天の父なる神様の怒りの杯を飲み、
それによって全世界の罪を取り除くことだったのです。
ユダがどうしてあのようなそぶりをしたか、
夜に外出したことがある人なら誰でもわかるでしょう。
過越の祭の時期には満月があたりを照らしていたとはいえ、
逃げ出す人々の一群の中から
目的の人物を見つけ出すことは難しかったでしょう。
もしもここでイエス様を捕えることができなければ、
翌朝にはエルサレムで宗教的な騒乱が起こることにもなりかねません。
ペテロが剣を抜いたのも、
混乱に乗じてその場を脱出するための方便であったかもしれません。
しかしイエス様はその機会を利用せず、
天のお父様が御自分にお与えになった使命を
終わりまで遂行するおつもりでした。