2011年4月26日火曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」13章 私たちの愛か、キリストの愛か 

   
私たちの愛か、キリストの愛か
  
もうひとつのキーポイントは、この箇所での「愛」という言葉で、パウロは何あるいは誰をさしているのか、ということです。
「彼はここでキリストについて語っている」、というのが通説です。
もっとも、彼はこの個所で一度もイエス様のお名前を挙げてはいません。
ということは、彼はやはり「コリントの信徒たちの愛」について語っているのでしょうか。

「愛」と訳せるギリシア語の言葉はたくさんあります。
それらの言葉には各々明確に異なる意味があります。
ここで用いられている「アガペー」という言葉は、「無私の愛」を意味しており、高価なものを愛でる心などとは異なります。
この箇所の「愛」の意味の問題に取り組む時、このことを考慮するべきです。
この言葉は、新約聖書ではよく用いられていますが、他の文献では比較的使用頻度が低い単語です。
 
パウロがここで語っているのが、キリストについてなのか、それとも私たちの愛についてなのか、一概に決定することはできません。
この問題は、いくらひねりを加えてみたり知恵をしぼってみても、解決しません。
私たち自身のクリスチャンとしての生活により深く分け入っていく必要があるのです。
そこにこそ、この章が語っている「愛の場所」があります。
「クリスチャンの愛」とは、キリストが私たちの心に住まわれ、私たちの隣人にお仕えなさることにほかなりません。
そのとき、ゴルゴタの十字架で公になった愛は、私たちの生活の中でも具体的なかたちをとるようになります。