フィンランド・ルーテル福音協会は1900年以来日本にルター派の宣教師を派遣し続けてきました。このブログでは、この宣教師団体の聖書や信仰生活に関する教えをフィンランド語から日本語に翻訳して紹介します。(夏は不定期更新になります)。
2011年3月7日月曜日
「コリントの信徒への第一の手紙」第8回目の質問
「コリントの信徒への第一の手紙」 第8回目の質問
1)現代では、肉を食べることで傷つく人は殆ど誰もいないでしょう。
当時の偶像に捧げられた肉の問題に対応するような問題が今の私たちには何かあるでしょうか。
2)「他の人のことを考慮する」ということは、どのような場合に「二枚舌」であり、またどのような場合には「隣人愛」なのでしょうか。
3)「クリスチャンは、一方では自由な主人であって誰の僕でもないが、他方では自発的に皆の僕となる」、とルターは言っています。
現代では、「愛」は「キリストのものである人々」の目印となっているでしょうか。
これはいつの時代でもそうだったのでしょうか、それとも、いまだかつてそんなことはありはしなかったのでしょうか。
4)パウロは10章1~13節を、不信仰者にではなく、継続的に礼拝に参加している教会員に向けて書いています。
この箇所は、私たちの時代では誰に向けられていると思いますか。
教会の中心的なグループに対してでしょうか、それとも、教会に形式的に所属している教会員全員に対してでしょうか。
5)偶像礼拝は、私たちの時代にはどのような形態をとっていますか。
6)多くのクリスチャンはホロスコープ(星占い)を読んでいます。
ホロスコープの背景には、「星は神々であり、それらの運行を調べることで自分や他の人の運命を知ることができる」、という考えがあります。
これについて何というべきでしょうか。
7)今回の箇所に基づくとき、フリーメーソンやその「聖なる食事」について、どのように考えるべきでしょうか。