2011年1月26日水曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」7章8~9節 

  
結婚するべきでしょうか? 7章8~9節
   
パウロは「未婚者と寡婦のこと」に話を戻します。
彼が「結婚しないこと」に与えている高い評価が、ここで再び繰り返されます。
今回は新約聖書の他の箇所も挙げられています。
「結婚しないということ」は、神様の賜物や、神様が与えてくださっている使命でもありえます。
ですから、あらゆる手段を尽くしてでも、この状態から解放されるべきだ、というわけではありません。
それは「二流の生き方」などではまったくなく、深い敬意と高い評価に値することなのです。
このように言うときにパウロはまた、「誰の上にも余計な重荷を背負わせないように」、とも警告しています。
ある人にとって未婚が耐えられないほどの重荷である場合には、神様はその人が結婚するのを妨げたりはなさらないのです。

現代では、一人暮らしをしている人たちの性生活について、以前よりもオープンに話し合われるようになりました。
そしてこれは、今が性に関することを強調しすぎる時代であり、性交を自制する意味をまったく理解しない時代だからでもあります。
世界の歴史の中で現代ほど、セックスが話題の中心になっている社会は今までなかったことでしょう。
そうなっている理由は、金と人間的な欲望との汚らわしい「同棲関係」にあります。
広告は性的に人を篭絡する表現によって何でもかんでも売り物にしています。
とりわけ若い人たちにとって、これは大きな誘惑です。
「人がどれだけ性的な冒険を経験したか、しなかったか」、がその人の価値を決めてしまうような風潮さえあります。
このような時流に、私たちは一歩たりとも追従してはなりません。
人間の価値は、その人の性や、性交する能力や、性的な魅力にあるのではありません。
その基底にあるのは、神様の創造のみわざだけです。
そのみわざのゆえに、人は皆それぞれ、かけがえのない、いとおしまれるべき存在なのです。
「自由な性交」は誰のことも「自由」にはしないし、当事者の良心を強め励ますどころか、かえって逆の結果を招きます。
神様の御言葉の教えは明瞭です。
すなわち、「もしも一人で生きていくのが辛くなったならば、結婚しなければならない」、ということです。
ルターによれば、よい結婚相手は主からいただくものなので、早くからこのことのために祈るべきなのです。