2010年12月30日木曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」第5回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

キリストへと洗礼を受けている魂の持ち主が、信仰と正しい良心を完全に失い(「テモテへの第一の手紙」1章19節)、洗礼において罪から清めていただいたことを忘れて(「ペテロの第二の手紙」1章9節)、自分自身を世の汚れにまみれさせるということが、残念ながらこの世ではしばしば起こります。
彼らの欲望が彼らを占領してしまったわけです。
その結果彼らは、信仰の道を踏み外し、自分自身のために神様の御子を再び十字架につけるようなことをしているのです(「ヘブライの信徒への手紙」6章6節)。

聖霊様が今、このような人々を「死にいたる眠り」から目覚めさせて、もう一度照らし、彼らがいったんは見捨てたイエス・キリストを再び知るようにしてくださらなければ、もうどうにもなりません。
それゆえ御霊は言われます、
「眠っている者よ、目を覚ましなさい。死者の中から起き上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照らしてくださいます」(「エフェソの信徒への手紙」5章14節)。
聖霊様がこれら失われた人たちを探し出し、道に迷った者たちを御許に集めるみわざを忠実に行ってくださっているのは、なんと偉大で素晴らしいことでしょうか!

このことを主御自身が、「なくした銀貨」についてのすばらしいたとえによって証してくださっています、
「もしもある女の人が銀貨を十枚もっていて、もしその一枚をなくしたならば、彼女はランプをつけて家全体を掃き、それを見つけ出すまで注意深く探しつづけないでしょうか?」(「ルカによる福音書」15章8節)。

これよりもさらなる忠実さをもって、主の御霊は、
「失われた魂の持ち主たちを再びキリストの御許に集めて、彼らを御言葉の光によって照らし、安全な恵みの場、神様の御許に連れて行こう」、
と望まれています。
この聖霊様の忠実さがなければ、洗礼の契約を破った罪人は、もはや一人たりとも自分の贖い主を見つけることができないし、父なる神様の恵みに再びあずかるようにも決してなれないことでしょう。

しかし、永遠の父なる神様に感謝します。御父は、愛する御子のゆえに、倦むことのない恵みと忠実さをもって、道を見失いさまよっている御自分の子供たちを、聖霊様のみわざによって探しておられ、また、彼らのうちの一人でも見つかった時には、大喜びしてくださいます!

F.G.ヘドベルグ 「疲れた人たちのための清涼剤」