2012年10月5日金曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 22章1~5節 新しいエデン(その1)


 
「ヨハネの黙示録」22
  
新しいエデン 2215節(その1)
  
 
聖書のはじめには
エデンの楽園についての記事があります。
そこには命の木、善悪を知る木、
それに楽園を横切って流れる川がありました。
天地創造の描写の後には、
人間の罪の堕落が描かれました。
神様は
人間が善悪を知る木から取って食べることを禁じました。
エヴァとアダムは、
神様の命令を破ったため、楽園から追放されました。
罪は人間を捕らえてねじ伏せ、
世界を支配するようになりました。
15節は、
神様がかつて造られた楽園を描いています。
ですから、
旧約聖書の天地創造を念頭において、
これらの節を研究するのが適切です。
  
1節では
新しいエルサレムを流れている「命の水の川」
についての記述があります。
おそらくこの川は、
新世界で実現する「永遠の命」を描いているのでしょう。
ヨハネはまた「命の木」を見ます。
この木の葉から諸国民は健康を得ると言われています。
つまり、天国に入った人々は健康になる、ということです。
この世では、苦痛や窮乏や病気があります。
天国には、それらのものはありません。
そのかわり、
善悪を知る木については、ヨハネは何も話しません。
新世界にはそれはないのです。
ということは、
新世界では再び罪の堕落が起きる可能性はまったくない、
ということです。
天国での喜びには終わりがありません。
 

2012年10月3日水曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 21章22~27節 人々の只中にある神様の幕屋


 
人々の只中にある神様の幕屋 212227
  
 
新しいエルサレムには神殿がありません。
神殿は、
人々の罪のために犠牲を捧げる儀式が行われた場所でした。
イエス様の十字架の死の後では、
これらの犠牲の捧げ物はもう必要ありません。
罪がまったく存在しない新世界では殊更です。
神殿は神様と出会う場所でもありました。
新しいエルサレムでは、
神様は御自分の民の只中に住まわれているので、
神様と会うための特別な場所は要らないのです。
都には光も必要ありません。
都に住まわれる神様が輝きの源であり、
都を照らしてくださっているからです。
  
この世にはよいこともあります。
喜びをもたらすこと、神様が私たちにくださった賜物、
などがそうです。
ヨハネは、26節で「諸国民の光栄と誉れ」とについて語るとき、
おそらくこのことを意味しているのでしょう。
それらは新しいエルサレムに携えられてきて、
そこでも喜びの対象になります。
それに対して、
いかなる悪も、忌避すべきものも、汚れたものも、
都には入ることができません。
都は、
そこに住むのにふさわしくない者たち全員に対しても
閉じられています。
「王の息子の結婚式」についてのイエス様のたとえは、
これと同じことを語っています
(「マタイによる福音書」22114節)。
結婚式の礼服に身を包んだ人々だけが、
聖なる都にふさわしいのです。
その礼服とは、
イエス様の血によっていただいた罪の赦しです。
それは私たちの悪さと汚さを覆い隠してくれます。

2012年10月1日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 21章9~21節 新しいエルサレム(その3)


 
新しいエルサレム 21921節(その3)

 
 
旧約の神殿の最も聖なる場所である「至聖所」は立方体の形でした。
新しいエルサルムの形もまた立方体をなしている、
とヨハネは語ります。
これには大いなるメッセージが包含されています。
旧約の時代には、
神殿の至聖所は神様が住まわれる場所である、
と教えられていました。
新しいエルサレムでは、
至聖所について信じられていたことが本当に実現します。
すなわち、
神様がそこに住んでいらっしゃるのです。
都の形はそれを思い起こさせてくれます。
旧約の神殿の至聖所の中には、
年に一度大祭司だけが入ることが許されていました。
新しいエルサレムには、
「神様のもの」である者なら誰でも入ることができます。
イエス様がそこへの道を開いてくださり、
イエス様の血が私たちを清く洗いました。
それゆえ、
私たちは神様がいます場所に行くことができるのです。
  
ヨハネは都を描きながら、それをつぶさに観察していきます。
都は不思議な場所です。
通りは純金でできています。
城壁にはさまざまな宝石がちりばめられています。
門はそれぞれひとつの真珠で造られています。
ヨハネが詳細に挙げている12種類の宝石は、
大祭司の胸当てに飾られていた宝石と一致しています。
すでに旧約の時代に、
最も高価で最上のものは神様の持ち物である、
と理解されていました。
それゆえここでも、
最上級の宝石は神様の持ち物とみなされています。
輝きに包まれている新しいエルサレムは、
それと同じことを宣べ伝えています。
すなわち、
神様は王の中の王であられるので、
最高級の宝は神様の持ち物である、
ということです。

2012年9月28日金曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 21章9~21節 新しいエルサレム(その2)



新しいエルサレム 21921節(その2)
 

 
ヨハネは都の長さと幅と高さの寸法を測るよう命じられました。
以前にもヨハネは同じ任務を与えられました。
すなわち、11章で彼は
「神様の神殿と祭壇とそこでひれ伏して祈っている者たち」
のことを測るように命じられました(「ヨハネの黙示録」111節)。
そして、その箇所の説明で、
「ゼカリヤ書」に触れました(「ゼカリヤ書」215節)。
その際に、この「測る」という行為には、
たんに長さを正確に知る以上の意味が含まれていることを指摘しました。
「測る」という行為には、
保護されるべく目印をつける、
という意味合いがあります。
この21章の箇所でも
それと同じ意味でこの言葉が用いられていると思われます。
新しいエルサレムは神様の守りの中にあり、
それゆえ、いかなる災いもそれを襲うことがありません。
神様が都をあらゆる悪から守ってくださるので、
その幸いは永遠に続きます。
  
ヨハネは測量の結果を報告します。
都は立方体であり、
その一片の長さは12000スタディオン(約2300キロメートル)でした。
都はとてつもなく大きいわけです。
ヨハネが私たちに伝えたいことは、
都の寸法自体よりも、むしろ都の巨大さと壮麗さだと思われます。
都は万人の想像を超えた規模のものだ、ということです。
都の城壁の高さも同じことを示しています。
それは144キュビット(約72メートル)もあります。
当時の普通の都の城壁の高さは数メートルにすぎませんでした。
この箇所でヨハネが報告している数字(12000144)は
どちらも12で割り切れる数です。
こうして再び
イスラエルの12部族と12使徒が想起されていることになります。

2012年9月26日水曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 21章9~21節 新しいエルサレム(その1)


 
新しいエルサレム 21921節(その1)
  
 
天使がヨハネのもとに来て小羊の妻を見せます。
「小羊の妻」は
新世界に入れていただいた「キリストのもの」なる人々の群れ
を意味していると思われます。
ヨハネは新しい都の様子を描き出します。
前にも言ったように、
ある目的のためにヨハネはそうしているのです。
目的地に到着して歓喜する教会と新世界とは
非常に密接な関係にあるので、
それらについては一緒にして語られるのだし、
同じ名で呼ばれるわけです。
  
ヨハネは
目にしている光景を言葉であらわすことに困難を覚えます。
彼は新しいエルサレムを光り輝く宝石にたとえます。
神様が都にお住いになっているため、都は光を発散しています。
新しいエルサレムの建築には
12という数字が分かちがたく結びついています。
選ばれた民は12の部族に区分されていました。
そして、それぞれの部族の族長の名前が
都の12の門に書き込まれています。
都の城壁には12個の礎石があり、
そこには12人の使徒の名が記されています。
このことは、
神様の御計画には「旧約と新約」という
二つの段階があったことを想起させます。
人類を救うために神様が何をしてくださったのか
について新世界でも銘記されている、ということです。
門のイスラエルの12部族の名と城壁の12使徒の名は、
そのことについて語っているのです。

2012年9月24日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 21章1~8節 新天新地(その3)



新天新地 2118節(その3)



「ヨハネの黙示録」のはじめの部分で、
神様が「私はアルファでありオメガである」と言われるのを、
ヨハネは聴きました(「ヨハネの黙示録」18節)。
神様からすべては始まり、神様へとすべては終わる、ということです。
今ヨハネはこのことを目にしたわけです。
この世が神様の御手を振り切って暴走したことは、
いまだかつて一度もありません。
すべては神様の御計画の通りに進んできましたし、
神様の御心を実現するために役立ってきました。
神様は世界を造りまた保っておられる方であり、
「時が来た」と判断なさったときに、この世を終わらせなさいます。
  
最後の裁きの後で起こりうる二つの出来事について、
御座から聞こえてくる声は語ります。
「命の水」を欲する者は皆、それを賜物としていただきます。
神様の賜物、新世界での永遠の命、がすべての人々に差し出されます。
それを受け入れる人は、それをいただき、
全能の神様が「御自分のものたち」の間にいらっしゃる場所に、
いつか彼ら自分も共にいれるようになるのです。
それから声は、
起こりうるもうひとつの出来事について注意を喚起します。
それは「第二の死」と呼ばれ、火の湖として描き出されています。
それは、
活ける神様に仕えることをせず、
その態度が生活の中に出ていた人々の受ける分なのです。
神様がおられるところに入るか、
あるいは、悪魔のいるところに落ちていくか、
この二つの可能性しかないことを、
神様御自身が語っておられます。

2012年9月21日金曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 21章1~8節 新天新地(その2)


 
新天新地 2118節(その2)
 

 
それからヨハネは新しいエルサレムを見ます。
「新しいエルサレム」は、
神様が「大いなる祝宴」のために清め整えてくださった
「キリストの教会」を意味しているものと思われます。
19章には、
新世界で挙式されることになる
「小羊の婚礼」についての記述がありました。
その箇所では「神様の教会」は、
清く輝く麻布の衣に身を纏う「花嫁」として描き出されていました
(「ヨハネの黙示録」1978節)。
「新しいエルサレム」は「天国の都」、
すなわち新世界の中心のことも意味しています。
これについては10節から始まる箇所に書かれています。
おそらくヨハネは「新しいエルサレム」という言葉で、
「天国に入った神様の教会」と
「新世界の都」という二つのことを意味しています。
これらは互いに密接に関係しているため、
両方とも同じ名で呼ぶことができるのです。
  
ヨハネは御座から発せられる神様の御声を聴きます。
その声は、新世界がどのような場所か、説明します。
神様は御自分に属する人々の真ん中に住んでおられます。
そのおかげで、そこにあるのは素晴らしくよいことばかりです。
新世界に入った者は悲しみも死も痛みも苦しみも感じません。
新世界は罪に堕落したこの世とはまったく異なっています。
この世では罪があらゆるところに入り込んでいるので、
罪の全然ない生活というのは、想像するのも難しいほどです。
新世界では罪が存在しないため、
そこでの生活はこの世での生活とは非常に異なっています。
戦争はなく、
私利私益の追求もなく、
愛に欠けた行動もなく、
人を傷つける言葉もなく、
悪い考えすら浮かぶことがありません。
永遠の命は罪のない命であり、
それゆえ、それは実に驚くほどよいものです。