テトスについて(その2)
パウロはテトスをエフェソからコリントに派遣しました。
その目的はコリント教会に生じた問題を解決することでした。
その際おそらくテトスはいわゆる「涙の手紙」
(「コリントの信徒への第二の手紙」2章3〜4、9節
および7章8節で言及されている現存していない手紙)
を携えていたものと思われます。
テトスはコリント教会の混乱を収めることができましたが、
コリントからの便りがなかったため心配したパウロはマケドニヤに赴いて
(「コリントの信徒への第二の手紙」2章13節)テトスと再会し、
コリントの教会についての朗報をそこでようやく耳にしました。
マケドニヤでパウロは「コリントの信徒への第二の手紙」を書き上げ、
テトスをふたたびコリントに派遣します。
その目的はエルサレム在住の貧しい信徒たちのために
献金を集める計画を遂行させることでした
(「コリントの信徒への第二の手紙」8章15節)。
パウロはテトスを
「わたしの仲間であり、あなたがたに対するわたしの協力者」
と呼んでいます(「コリントの信徒への第二の手紙」8章23節)。
「テモテへの第二の手紙」4章10節によれば、
テトスはダルマテヤに滞在したことがあります。
なお、教父エウセビオスは著書「教会史」で
テトスがクレテの初代の教会長となり、その地で高齢にて没したと述べています。