2026年8月31日月曜日

「テトスへの手紙」ガイドブック 「テトスへの手紙」1章1〜4節 はじめのあいさつ(その1)

 異端との戦い

「テトスへの手紙」1章

 

はじめのあいさつ(その1)

「テトスへの手紙」1章1〜4節

 

「神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから――

わたしが使徒とされたのは、

神に選ばれた者たちの信仰を強め、

また、信心にかなう真理の知識を彼らに得させるためであり、

偽りのない神が永遠の昔に約束された永遠のいのちの望みに基づくのである。」

(「テトスへの手紙」1章1〜2節、口語訳)

 

新約聖書のこの箇所でのみパウロは自分のことを

「神の僕」と呼称しています。


「ローマの信徒への手紙」1章1節と

「フィリピの信徒への手紙」1章1節ではパウロは自分を

「イエス・キリストの僕」や「キリスト・イエスの僕」と呼んでいます。


また「ヤコブの手紙」1章1節でヤコブは自分のことを

「神と主イエス・キリストとの僕」と呼んでいます。

 

「神の僕」としてパウロに与えられた使命は福音を宣べ伝えることでした。

それゆえ彼は自分のことを「使徒」とも呼んでいました。

「使徒」はギリシア語で「アポストロス」といい

「使わされた者(遣わされた)(男性)」という意味があります

(この単語の動詞形「アポステッロー」は

「使わす(遣わす)」という意味です)。

パウロは神様からの「よい知らせ」(福音)を宣べ伝えるために使わされたのです。

 

ギリシア語原文でのパウロの文章は一文がとても長いものが多くあります。

例えば「ローマの信徒への手紙」1章の1節のはじめから7節の終わりまでは

ギリシア語では一文を構成しています。

「テトスへの手紙」1章でも1〜4節は一つの文です。

このままでは読みにくいし意味も汲み取りにくくなるために

翻訳ではいくつかの文に分けて訳されることがしばしばみられます。

このガイドブックで使用している口語訳でもそのようになっています。

 

「信仰」(ギリシア語で「ピスティス」)と

「真理の知識」(ギリシア語で「エピグノーシス・アレーテイアース」)

(1章1節)とは互いに一つに結びついています。


私たちキリスト信仰者の信仰は真理に基づいて構成されています。


例えばイエス様の復活の歴史的な真実性は

キリスト教信仰にとってあまり重要ではないと考える人々もいますが、

次の引用箇所にあるように

パウロ(および他の最初のキリスト信仰者たち)は

それとは異なる考えかたをしていました。

 

「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、

あなたがたの信仰は空虚なものとなり、

あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。

そうだとすると、

キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。

もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって

単なる望みをいだいているだけだとすれば、

わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。

しかし事実、

キリストは眠っている者の初穂として、

死人の中からよみがえったのである。」

(「コリントの信徒への第一の手紙」15章17〜20節、口語訳)。