「祭司」と「牧師」について(その3)
教会の職制としての牧師職
新約聖書は、
キリスト信仰者全員にかかわる「祭司職」を強調する一方で、
キリスト教会の責任を引き受けるために任命された特定の人々による「牧師職」
についても様々なことがらを語っています。
教会における職制とは、
ルター派の信仰告白書に基づけば、「神様の設定されたもの」です
(「アウグスブルク信仰告白」第5条)。
そして、「コリントの信徒への第一の手紙」14章33~40節は、
「牧師職」を主の命令に基づいて男性のみに限定しています。
「神は無秩序の神ではなく、平和の神である。
聖徒たちのすべての教会で行われているように、
婦人たちは教会では黙っていなければならない。
彼らは語ることが許されていない。
だから、律法も命じているように、服従すべきである。
もし何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねるがよい。
教会で語るのは、婦人にとっては恥ずべきことである。
それとも、神の言はあなたがたのところから出たのか。
あるいは、あなたがただけにきたのか。
もしある人が、自分は預言者か霊の人であると思っているなら、
わたしがあなたがたに書いていることは、主の命令だと認めるべきである。
もしそれを無視する者があれば、その人もまた無視される。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」14章33~38節、口語訳)
教会の職制としての牧師職に任命される人物について、
新約聖書では少なくとも次のような名称やイメージが用いられています。
「牧する」(ギリシア語で「ポイマイノー」)
たとえば、「エフェソの信徒への手紙」4章11節、
「使徒言行録」20章28節、「ペテロの第一の手紙」5章2節。
たとえば、「使徒言行録」14章23節、「テモテへの第一の手紙」5章17節、
「テトスへの手紙」1章5節、「ヤコブの手紙」5章14節、
「ペテロの第一の手紙」5章1節。
たとえば、「使徒言行録」20章28節、「フィリピの信徒への手紙」1章1節、
「テモテへの第一の手紙」3章2節、「テトスへの手紙」1章7節。
「家令」(ギリシア語で「オイコノモス」)
たとえば、「ルカによる福音書」12章42~44節。
教会の職制の任務の重大性をとりわけ強調しているのが
「使徒言行録」20章です。
次に引用する箇所で、パウロはこの負担の大きい「牧師職」としての任務を
小アジアのキリスト信仰者各人から教会の牧者たちに移譲しています。
「そこでパウロは、ミレトからエペソに使をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。
そして、彼のところに寄り集まってきた時、彼らに言った。
「わたしが、アジヤの地に足を踏み入れた最初の日以来、
いつもあなたがたとどんなふうに過ごしてきたか、よくご存じである。(中略)
どうか、あなたがた自身に気をつけ、
また、すべての群れに気をくばっていただきたい。
聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、
あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。
わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、
容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。
また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、
弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。
だから、目をさましていなさい。
そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、
あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい。
今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。
御言には、あなたがたの徳をたて、
聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。(中略)」
こう言って、パウロは一同と共にひざまずいて祈った。
みんなの者は、はげしく泣き悲しみ、パウロの首を抱いて、幾度も接吻し、
もう二度と自分の顔を見ることはあるまいと彼が言ったので、特に心を痛めた。
それから彼を舟まで見送った。」
(「使徒言行録」20章17〜18、28〜32、36〜38節、口語訳)