蔑まれている神様の御名 2章17〜29節(その1)
パウロは、ユダヤ人について手厳しい話を続けます。
ユダヤ人は、
神様の御旨を知りつつも、
それに従おうとはしませんでした。
それに従おうとはしませんでした。
彼らは、
霊的に盲目な人々の導き手や、
理解力の足りない人々の教師を気取って、
理解力の足りない人々の教師を気取って、
人前に登場しました。
「私が実際に行っていることは見習わず、
私が教えている通りに行いなさい」、
という助言を付け加えた上で教えていたのであれば、
彼らは教師として正しく振る舞ったと言えたのでしょうが。
彼らは、神様について話すことにとても熱心でした。
彼らは、自分が神に従う者であることを隠そうとはしませんでした。
しかし、このことは、残念な結果を生みました。
ユダヤ人を傍らから見ていた人は皆、思わず笑い出してしまいました。
もしも神の従者を自称する者(ユダヤ人)が
これほど見せかけだけの悪人だとしたら、
彼らが仕えているという神は一体どのような存在なのか、
と彼らはせせら笑ったのです。
異邦人は、ユダヤ人の偽善的な生き方を面白がるばかりでした。
こうして、神様の聖なる御名は汚されてしまいました。
ユダヤ人は、神様のことを話題に持ち出すべきではなかったのです。
なぜなら、
彼らの生き方は、活ける神様を嘲笑の的としてしまったからです。