多くの人に食べ物を分け与える奇跡 6章1~15節
数百年前には、
イエス様が本当に何千人もの人々に食べ物を分け与えられたという考えは、
学識のある人々には受け入れられるものではありませんでした。
彼らによれば、
第一に、そのような奇跡は自然に反することであり、
奇跡は決して起きないはずからです。
第二に、パンを次々と懐から出して配るような手品師などよりも
イエスは偉大なはずだからです。
イエスは実際にはパンの数量を増やしたのではなく、
自分の示した模範にしたがって
人々がめいめい自分のパンを
お腹のすいている他の人に分けるようにさせたのだ、
と彼らは説明しました。
実のところ、
この奇跡について読む人は、旧約聖書をひもとく必要があります。
「列王記下」4章42~44節の出来事の流れは、
そこでの会話も含めて「ヨハネによる福音書」の内容とほぼ一致しています。
そして、
この奇跡のゆえに人々がイエス様を預言者とみなしたことがわかります。
はるか昔、神様が御自分の民の只中で行われた偉大なみわざが、
今再現されたことになるからです。
そして、
目に見える形での神の国の到来を人々が熱心に待ち望んでいた時代に、
イエス様の奇跡がどのような意味をもっていたか、もわかります。
おそるべきことに、
この大成功した奇跡は、一方では不幸ももたらしました。
人々は奇跡を見て、それを行ったのが神であることを認めました。
しかし、この時に彼らは神様の御子のことは拒んだのです。
イエス様は、パンを与える救世主(メシア)ではありませんでした。
表面的に快適な生活を送ることを目的として
イエス様をさがすべきではなかったのです。
奇跡もまた、
人々の心をイエス様への信仰で満たすことを、
その目的としていたからです。