第5回目の質問(5章)
1)福祉国家が存在しなかった時代には、
障害者や病人の生活はどのようなものだったと思いますか。
2)イエス様は病人を癒され、その人が「歩き回る」ように命じられました。
それはどうしてでしょうか。
そして、それはどのような反応を生むことになりましたか。
3)5章17節でイエス様はユダヤ人たちに、
なぜ安息日に病人を癒されたか、説明なさいました。
それを聞いた人々は納得したでしょうか、しなかったでしょうか。
4)この章では、イエス様の長いお話が続いていきます。
その内容は、
ユダヤ人たちとの対話というより、
イエス様の教えと言うべきものです。
「ヨハネによる福音書」でよく見られるケースは、
人はイエス様を心に受け入れる時に命を得るが、
イエス様を拒む時には死を受ける、というものです。
まさにこの箇所(5章24~29節)で、
イエス様は来るべき裁きについて語られます。
裁きの時に、人々はふたつのグループに分けられます
(「ダニエル書」7章13節、12章1~3節)。
どちらの箇所があなたにとって身近ですか。
これらふたつの箇所は互いに対立した見方なのでしょうか。
5)イエス様が天の父の遣わした方であることを、誰が証するのか、
とユダヤ人はたずねました。
洗礼者ヨハネ、御自身のなさった「しるし」、天の父御自身、の三つである、
とイエス様は(旧約)聖書に基づきお答えになりました。
洗礼者ヨハネは、イエス様についてどのように証をしていますか。
イエス様のなさった「しるし」のみわざは、どのように証をしていますか。
まさに旧約聖書を通して神様は
イエス様について証なさっている、ということは
私たちにとってどのような意味があるのでしょうか。
旧約聖書が
神様に関する人間の話などではなく、
神様から人間への話しかけである、と考えるのは、
あなたにとって難しいことですか。