2013年2月6日水曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 6章 祝宴に招く「知恵」


 
祝宴に招く「知恵」

「ヨハネによる福音書」6
  
  
今まで見て来たように、「ヨハネによる福音書」は、
多くの箇所で他の三つの福音書とは異なったやり方で、
イエス様のみわざを記述してきました。
しかし、この6章に至って、四つの福音書の記述は一挙に合流します。
多くの人々に食べ物を分け与える奇跡の後に
イエス様が水の上を歩かれる記述は、
「マルコによる福音書」でも共通しています。
他にも共通する点がいろいろとあります。
例として、
人々はイエス様から「しるし」を要求します
(「マルコによる福音書」81113節)。
ペテロはイエス様をキリストであると信仰告白します
(「マルコによる福音書」827節)。
「マルコによる福音書」(62738節)でも「ヨハネによる福音書」でも、
キリストの歩まれる道は、今はっきりと恥辱と下降へと向かっていきます。
  
「ヨハネによる福音書」が聖餐式の設定については語っていないことを
覚えている読者にとって、この6章の内容は困惑を招くでしょう。
確かにこの福音書は、聖餐について、直接には一度も言及していません。
にもかかわらず、
この6章は、聖餐式の施行について語っているものと考えないと、
まったく理解できなくなります。

「ヨハネによる福音書」が聖餐や洗礼について
ヴェールで覆うような書き方ばかりしている理由を、
研究者たちは説明できませんでした。
「ヨハネによる福音書」は、該当事項の記述に関して、
他の三つの福音書(とりわけ「マルコによる福音書」)に
信頼して任せたのかもしれませんし、
すでに聖餐や洗礼について基礎知識をもっている人々に対して
語りかけたかったのかもしれません。
あるいは、神様の御国の奥義を
すべての人には明かしたくなかったのかもしれません。
    
6章の意味は、5章との関連で明らかになります。
5章の終わりで、イエス様は、
すでにモーセが御自分について証していた、
と語られます。
ユダヤ人たちは、この証を旧約聖書から見つけることができませんでした。
にもかかわらず、キリストのみわざとペルソナは、
すでに旧約聖書の端々に見出されるものです。
大勢の人に食べ物を与える奇跡と、
イエス様が水の上を歩かれる奇跡とは、
まさにこのことに関連しているのです。

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