2012年12月21日金曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 3章25~36節 花婿と花嫁の出会い



花婿と花嫁の出会い 32536

洗礼者ヨハネのグループとイエス様のグループという、
ふたつのグループが並行して出現したことは、
両者のうちのどちらのほうが優勢になるか、という疑問を生みました。
イエス様の御許に人々が急ぐのを見て心配になった弟子たちに向かって、
洗礼者ヨハネはこの疑問への返答をしなければなりませんでした。
ヨハネは旧約聖書の豊かなイメージに根付いた比喩を用いています。
  
旧約聖書はしばしば神様とイスラエルの関係を結婚に喩えています
(「エレミヤ書」3章、「エゼキエル書」16章、23章、「雅歌」)。
ヨハネが、嫉妬せずにイエス様の成功を喜び、
自らは脇役に甘んじるときに、
これらの比喩がヨハネの説明の背景にあったのだと思われます。
ヨハネは花婿の友人であり、
花婿が花嫁と知り合うよう、執り成した仲人でした。
今やキリストとその教会は、
すでにこの段階で互いに知り合おうとしていたのです。
このことは、ヨハネを大きな喜びで満たしました。
これと同じようなイメージは新約聖書にもしばしば登場します。
例として、とりわけ「ヨハネの黙示録」の最後の数章を挙げることができます。
  
ふたりの証の間には大きなちがいがありました。
ヨハネは人間であり、土から生まれたものでした。
また彼の教えもまた地上的なものでした。
それに対して、イエス様は天から来られ、その証は天国的なものでした。
誰も受け入れなかったにもかかわらず、それは正しい真の証でした。
イエス様の御言葉を受け入れた者は、
御父がすべてを御子の支配に限りなくゆだねられたことを見ます。
こうしてイエス様は、
御自分の民に永遠の命をプレゼントしてくださるのです。
しかし、イエス様の御言葉を拒む者は神様の怒りの下にあります。
このようにヨハネの証では、
「ヨハネによる福音書」に典型的なテーマに戻ります。
命と死(ここでは神様の怒り)、天国的な真理と地上的な虚偽などです。
すべての中心となるのは、神様の御子イエス様です。
イエス様とどのような関係にあるかによって、
私たちの生活はまったく変わってしまいます。