2010年5月3日月曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 4章17~24節

   
  
古い人と新しい人 4章17~24節
       
パウロは、クリスチャンにふさわしい生き方について語るとき、その具体的な指示を与える前に、彼の他の手紙でもくりかえし書かれているような基本的なパターンを、まずここでも復習しています。
それを彼は、短く美しく表現しています。
「古い人」と「新しい人」という一組の言葉がその教えの基本にあります。
これらの言葉は「肉」と「霊」という言葉でほとんど置き換えることができます。
これからわかるのは、クリスチャンの生き方の背景には、救いについての教えがあるということです。それゆえ、パウロは、まず異邦人たちの希望のない状態について語ることからはじめているのです。
      
異邦人は、どれほど自分の力に頼ってみても、依然として神様の怒りの下にあり、希望なく生きています。
「ローマの信徒への手紙」の第1章のように、パウロは、いかに異邦人が活きておられる神様に対して背を向け、心をかたくなにし、こうして罪の深い泥沼に沈んでしまったか、について語ります。
これが私たちの「古い人」あるいは「肉」と呼ばれるものであり、つまり、私たちが自身の力に頼ってキリストなしに神様の御前に出ている状態です。
神様の救いのみわざは、私たちを死者の中から復活させ、新しい命へと生み、私たちの中に「新しい人」あるいは「霊」を与えてくれました。
それは、私たちが神様の子供になった、ということを意味しています。
         
今パウロは教えます。
クリスチャンの生活はこの基本のパターンを実行するために絶えず努力していくことにほかなりません。
私たちの使命は、脱ぎ去り、また、着ることです。
自分の「古い人」と「肉の行い」を脱ぎ去り、「新しい人」と「霊のみわざ」を着ることです。
これは、キリストに日々まじめに従いつづけることであり、自分自身の肉を殺しつづけることでもあります。
あるいは、ルターの言い方を借りるなら、古い人を聖なる洗礼の水の中で日々溺死させることです。これとまったく同じ教えが「コロサイの信徒への手紙」にも登場します。
「ローマの信徒への手紙」の第6章にもそれと似た教えがあります。