2010年5月17日月曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 第4回目の終わりのメッセージ 

第4回目の集まりのためのおわりのメッセージ

「あなたがたの名前が天に記されていることを喜びなさい。」(ルカによる福音書10章20節)
       
キリストはこの御言葉を、神様の力によって今キリストを信じている私たちに対しても、言われています。
私たちの主御自身が、私たちの名前が天に記されていることを喜ぶようにと、私たちに命じておられるのです。
私たちの名前がどこに記されているか、私たちは知っています。
紙でも本でもなく石にでもありません。
そうではなく、私たちの大祭司、イエス様の心に記されているのです。
「出エジプト記」28章29節を読んでみてください。
私たちにとって、これは喜ばしいことではないでしょうか。
もちろん、そうです!
       
確かにこの世では、私たちには多くの嘆きと苦しみがあります。
この世では、罪と自分の惨めな状態とが私たちの心を圧迫してきます。
この世では、律法が私たちをおびやかし、恐れさせます。
この世では、知者や聖者が私たちを異端であると非難し、あざけります。
この世では、しばしば悪魔が私たちを選り分け、試み、窮地に追いやります。
さらには、死と地獄も私たちを飲み込もうと襲ってきます。
しかし、私たちのもとで、「あなた、小さい群れよ、恐れてはいけない!」と、すでに天にのぼられ今御父の右にお座りになっている私たちの主、永遠の大祭司、イエス様が叫んでおられます。
         
イエス様はこう言われます。
      
「恐れてはいけない。あなたがたの名前が天に記されていることを喜びなさい。
私はあなたがたを自分の手に記しました。
あなたがたは私の心の中にいます。
だから、私はあなたがたを永久に忘れることはありません」。
        
これが私たちの大祭司、私たちの羊飼いが話しかけてくださる声です。
この声を私たちは知っており(ヨハネによる福音書10章)、これに従い、信頼しています。
        
確かにこの世では、安全なことは何もなく、私たちの主、羊飼い、大祭司はすでに私たちを忘れ見捨ててしまったかのように感じられることがしばしばあります。
        
イザヤ書の49章14節を読んでみてください。
この世と天では状況がまったく異なっています。
天では、私たちはよい安全な場所、私たちの大祭司の忠実な心の中にいます。
誰が私たちをそこから閉め出したり奪い去ることができるというのでしょうか。
         
「誰も彼らを私の手から奪い去ることはできません!」と、私たちの主御自身が叫んでおられます(ヨハネによる福音書10章28節)。
ましてや、キリストの心から私たちを奪い去ることなど誰にもできはしません!
ここには疑いの余地などありません。
なぜなら、私たちは愛するキリストの心に記されているからです。
キリストを信じており、キリストにあずかるように洗礼を受けている私たち皆がそうなのです。
私たちは皆、同じ心の中にいます。
それゆえ、私たちは互いに分け隔てられてはおらず、自分で自分を分け隔てるべきでもありません。そうではなく、キリストの愛によって信仰の兄弟姉妹として互いに愛し合うようにひとつとなるべきなのです。
         
聖霊様が私たちに忠告しておられるように、私たちは信仰を保つように互いに支え合いましょう。
キリストがまずはじめに私たちに示してくださり、また今も示しつづけてくださっているように、私たちもまた、お互いに愛とよい行いを示すように、努力しようではありませんか。
        
(F.G.ヘドベルグ 「命の言葉」より)