2010年4月19日月曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 第3回目の終わりのメッセージ 

第3回目の集まりのためのおわりのメッセージ

「あなたがたは真理の御言葉、すなわちあなたがたの救いの福音を聴いたのです。」(「エフェソの信徒への手紙」1章13節より)

この言葉の意味を注意深く考えてください。
なぜなら、そこには私たちに、キリストにあずかるための唯一の道、唯一の手段が示されているからです。
ここで使徒がはっきりと言っているように、私たちは福音を聴くことによってキリストにあずかるようになります。
「ローマの信徒への手紙」でも、パウロは「信仰は聴くことから生まれ、しかし、聴くことはキリストの御言葉を通して実現します」(10章17節)と言っています。
今、キリストの御許に来て救いを理解したい人は、福音の御言葉を取り出して、どこからでも読みなさい。
それにより、聖霊様が御言葉を通して、その人が信仰にあってキリストを正しくしるようになるために、賜物によって光を与えてくださるからです。
   
そうしなければ、他のどのような仕事も戦いも努力もまったく無駄になります。
たとえ、血が出るほど自分を痛めつけたり、昼夜ひざまずいて祈り続けたり、荒れ野でひとりぼっちで暮らしたり、非常に粗末な身なりをしたところで、なんの役にも立ちません。
何をやってみたところで、もしも神様が福音の御言葉を聴かせることを通して、あなたを照らし、あなたがキリストをしるようにしてくださらないならば、あなたは良心の平和をえられず、キリストにあずかることも決してできません。
             
それゆえ、福音の御言葉は天地よりもはるかに価値のあるものなのです。
なぜなら、天地は、そこにある被造物すべてと力を合わせても、滅びゆく罪人のただひとりさえキリストの御許へと助け出すことができず、キリストにあずかるように導くこともできないからです。
ひとり聖霊様のみが、福音の御言葉を通してそれを行ってくださいます。
このように私たちにとって、この御言葉は本当に貴いものです!
私たちは、起きるときにも寝るときにも、道を歩くときにも座っているときにも、食べるときにも飲むときにも、この御言葉に学ぶべきです。
                 
ここで使徒は、「これはあなたがたの救いの福音です。それを聴くことであなたがたはキリストにあずかることができるようになりました」と言っています。
これはどういう意味でしょうか。
使徒パウロは数年前にエフェソの信徒たちに彼らの救いの福音を宣べ伝えました。
その福音とは、「神様が彼ら、のろわれた、神様に受け入れていただくのにふさわしくない罪人に、唯一の御子イエス・キリストにあって、さいわいな救いをすでに用意してくださっている」、というすばらしい、喜びに満ちたメッセージです。
          
またそれは、「罪の赦しと永遠の救いをいただくことは、今や、彼らが行ったよいわざに対する報酬としてではなく、キリストのゆえに神様の恵みのみにより、「彼らの所有するもの」となっている」、というメッセージでもあります。
          
この福音を信じて受け入れた者は、神様の子供となる力もいただきました(ヨハネによる福音書1章12節)。
その人はすでに信仰にあって救われており、キリストのすべての報酬にもあずかっています。
               
(F.G.ヘドベルグ「命の言葉」より)