2010年4月26日月曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 4章1~6節 その3

 
      
4章1~6節 その3
  
クリスチャンはひとつのからだの肢体となるべく洗礼を受けています。
それゆえ、クリスチャンはひとつのからだです。
それはちょうど、御霊や主や神様がおひとりであられるのと同じです。
「神様がおひとりであられる」ことを強調するとき、5~6節はユダヤ人の信仰に結びつきます。
この日々告白されてきた信仰とは、「イスラエルよ聴きなさい。主は私たちの神様であられます。主はおひとりです」(申命記6章4節)というものです。
             
私たちクリスチャンは三位一体なる神様しか知りません。
あらゆる時代に教会がそうしたように、パウロは神様の唯一性について語り、同じように聖霊様と御子についても語っています。
私たちは三位一体の奥義にひれ伏して、三位一体の神様に栄光を帰するべきなのであり、聖書よりも賢くなろうとしてはいけないのです。
私たちを聖なる神様の子供としてくれた、私たちの人生で受けた唯一の洗礼について、私たちが今日もまた感謝することができれば、どれほどよいことでしょうか。
   
エホバの証人は、家の前にやってきては三位一体論について議論をふっかけて、それをカトリック教会の捏造したものだと言い張ったりしますが、このようなエホバの証人の攻撃に対してすかさず徹底的な返答をすることができる人は、公に信仰告白するクリスチャンのうちでもあまりいないのではないでしょうか。
ここでは、「クリスチャンははじめから唯一の神様を信じて告白してきたこと」と、「それと同時に、神様について語っている詩篇を直接キリストにあてはめてきたこと」とを確認しておけば十分です。
例として、「エフェソの信徒への手紙」4章8節と「詩篇」68篇19節などをあげることができます。
また、「ヨハネの黙示録」では、御座に座っておられる神様と小羊とは理解を超えるほど親しい間柄です。
実のところ、どちらについて語られているのか、わかりかねる場合もあるほどです。