2010年4月12日月曜日

「エフェソの信徒への手紙」 第3回目の質問

第3回目の集まりのために エフェソの信徒への手紙 第3章

パウロの教えは、教会が保たれるための基礎です。この基礎をしっかり守るとき、私たちは天のお父様のみもとに安心して帰ることができます。

1)多くの人にとり、パウロは間違いをおかすただの人間にすぎません。
これに対し、教会はいつの時代も、とりわけ「エフェソの信徒への手紙」3章2~7節に基づいて、「唯一の使徒的な教会」を信じてきました。
もしも教会がこの信仰を変更しようとするなら、それは大変な危険を伴うことだと言わなければなりません。
今私たちの国の教会は、どのような危険にさらされているでしょうか。

2)パウロは牢獄からこの手紙を書いています。
他の点でもパウロは、「キリストに所属する者は苦しみと慰めとを経験する」という奥義をよく体現しています。
この奥義について私たちは十分話し合ってきたでしょうか。
それとも、私たちはただ自分たちの快適さと成功を求めてきただけなのでしょうか。
このことに関係するイエス様のどのような御言葉をあなたがたは覚えていますか。
  
3)手紙の書き手は「お父様の御前でひざまずきます」(14節)。
神様を父親として表すこの言葉は、比喩でしょうか、それとも事実でしょうか。
  
4)17節には、「キリストが「御自分のものたち」の心の中に住まわれる」ことを語っています。
これはどういう意味でしょうか。
「ペテロの第二の手紙」1章4節、「ヘブライの信徒への手紙」4章2節、「ガラテアの信徒への手紙」2章20節を参照してください。
これと同じことを語っている聖書の箇所を他にも見つけることができますか。
  
5)16節には、「聖霊様がクリスチャンを強めてくださる」ことについて書かれています。
聖霊様は、どのような手段を用いて、こうしてくださるのでしょうか。
  
6)手紙の書き手は、「キリストの愛があらゆる知識よりも上方にある」ことを強調するべきであると考えています。
それはどうしてでしょう。