2008年12月12日金曜日

マルコによる福音書 第5回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

主は低くし、また高くされます。(サムエル記上2章7節)

信仰ってなんてすばらしいんでしょう!考えてもみてください。信仰をいただいたあとで、信仰をもったり、信仰を保ったりすることが、私たち自身の力にかかっているとしたら!すべてはもちろん信仰によって決まります。悪魔や死も信仰をみて逃げ出します。しかし、どのように私は信仰をいただいてそれを保つのでしょうか。答え。神様は信仰を与えたり取り去ったり、信仰を弱めたり強めたりすることを、自由に御心のままにおこなうようにお定めになりました。神様を正しくしるようになるために、私たちも、すべての聖なる信仰者と同様に、このことを身をもって体験することができました。このように神様は、一瞬のうちに私に大きな信仰をくださることがあるし、また、気がつかないうちに私たちの信仰を弱らせる一方で、大きな罪人に信仰をお与えになることもあるのです。

でも、どうして神様は聖徒に強い信仰を絶えずくださらないのでしょうか。それは、彼らが自分の中から信仰がでてくるかのように錯覚し、自分があたかも神になったかのように考えて、尊大になったりはしないためです。神様は聖徒が「御自分が神様である」ことを学ぶようにし、「自分自身をしる」ようにさせて、へりくだったままになさいます。このことを神様は私たちや聖徒ひとりひとりに要求なさっています。聖徒は皆、神様の御前でひれ伏すべきだし、「私は取るに足らない存在です。私には何もできません。」と、心を込めて告白するべきです。私たちは皆、神様の御前では平等です。財産や才能などの賜物は人それぞれですが、それらもすべて神様からいただいたものなのです。

マルティン・ルター (「神様の子供たちに与えるマナ」)