2008年12月16日火曜日

マルコによる福音書について 6章1~13節

最初の宣教旅行

マルコによる福音書6章1~56節


ナザレ 不信仰の巣窟 6章1~6節

これまでイエス様は主にガリラヤの田舎の村々や小さな町で活動なさってきました。故郷の町ナザレではイエス様は教えなさいませんでした。ようやく今ナザレの番になったのです。イエス様がシナゴーグで教えると、すぐさま聴衆はイエス様の権威について議論し始めました。いったい誰が彼に、他の教師たちとはまったく違って、偉大な権威をもって心に響くように教える権能を与えたのだろうか?なぜほかならぬ彼を通して大いなる奇跡が起きているのだろうか?これらの疑問に人々は答えを求めました。答えはひとつしかありません。この町で生まれ育ったこの男の人は、驚くべきことに、「神の人」だ、ということです。しかしナザレの住民たちはこうは結論せず、逆にイエス様を拒みました。ナザレ出身のイエス様は昔から町の人々の知り合いだったからです。周りからイエス様は「マリアの子」と意地悪く呼ばれていました。ふつうだったら男の人は自分の父親の息子として呼ばれるものでした。たとえば、「ヨナの子シモン」(ペテロのこと)というように。「マリアの子」という呼び名には、「イエス様の本当の父親が誰であるかわからない」ことを揶揄する侮蔑が含まれていました。ナザレのユダヤ人たちと後のクリスチャンたちとは少なくともひとつの点で意見が一致していました。すなわち、ヨセフはイエス様の本当の父親ではない、ということです。このように、イエス様はナザレで受け入れられませんでした。これで害をこうむったのは、イエス様ではなく、ナザレの人々だったのです。故郷の人々の不信仰に驚きつつも、イエス様は人々を教えたり癒したりしながら他の地方へと旅をつづけられました。


福音の宣教 6章7~13節
弟子たちをはじめて福音の宣教のために派遣することは、マタイ、マルコ、ルカによる福音書において大きな意味をもっている大切な出来事でした。この段階でイエス様の教えが文字通り全土に広がり始めます。ユダヤ人の慣習によれば、ものごとの真偽を確証するためには、ふたりの証人が必要でした。たぶんそういうわけで、12人の使徒たちはふたりずつの組に分けられて、十分な持ち物も携えずに伝道の旅へと出発したのでした。「人は皆、神様の御許へと方向転換しなければならない」というメッセージを伝えるために、彼らはお金もパンもカバンももたずに出て行きました。弟子たちは、「不信仰の人々に対してはその証として、あなたがたの足についた塵を払い落としなさい」(11節)というイエス様の教えを実行に移さざるを得ないこともあったでしょう。しかし一方では、悪霊は斥けられ、病人は癒され、福音は聞き手に受け入れられました。