2008年12月8日月曜日

マルコによる福音書について 第5回目の質問

第5回目の集まりのために

マルコによる福音書4章35節~5章42節

マルコによる福音書はイエス様がなさった多くの奇跡について語っています。そして、それらの奇跡はイエス様の権威を示しています。
 
1)私たちは今回の箇所で、イエス様の権威に関する問題にくりかえし遭遇します。

イエス様が嵐の湖を鎮めることができたことに、私たちは今でも驚きますか?この出来事は現代では、どのような人たちの心に響くでしょうか?この箇所の他の奇跡の出来事についてはどうでしょうか?

2)マルコによる福音書は、ある奇跡がゲラサで起きたと記しています。しかし、ゲラサはゲネサレト湖から遠く離れています。この「矛盾」を解消するために幾つかの新約聖書の写本はゲラサの代わりにゲダラという地名を記しています。また、聖書に通暁していた教父オリゲネスはゲルゲサという地名を提案しています。しかしながら、奇跡が起きたのは、まず間違いなくゲラサでした。しかもその近くには、豚の大群が溺れ死んでしまうほど大きな湖はありません。

このような説明の難しいことがらは、私たちの聖書に対する関係にどのような意味をもっているでしょうか?これらのことを乗り越えて、「聖書は神様の御言葉です」とあなたは言えますか?

3)どうして悪霊の名前はレギオンだったのでしょうか?ローマ帝国のレギオンには何人ぐらいの兵士がいましたか?

4)悪霊から解放された男はイエス様の弟子たちの仲間に入ることは許されませんでした。彼は自分が悪霊から解放されたことについて自分の身近にいる人々に語る使命を与えられました。

私たちは「イエス様について話す」という使命を、身近にいる人たちや自分の家族や親戚や友人たちの間で、どのように果たしてきたでしょうか?

5)なぜイエス様は娘の両親に対して娘が生き返った奇跡について誰にも話さないようにと命じられたのでしょうか?

6)血が流れ続ける病気から癒された女の信仰はどのようなものだったのでしょうか?
なぜイエス様はその女を捜されたのでしょうか?

7)ヤイロの家でイエス様は御自分が「死の上に立つ主」でもあることを示されました。

このことは私たちにとってどのような意味をもっているでしょうか?あなたがたは、自分自身の来るべき死についてどのような思いをいだいていますか?