2008年12月18日木曜日

マルコによる福音書について 6章14~44節

福音の証人としての使命のおわり 6章14~29節

マルコによる福音書は、福音の証人たちが伝道旅行に出発したことを告げる一方で、福音の証人がはじめて殺害されたことについても記しています。洗礼者ヨハネはヘロデ王にとってはおそらくただでさえ好ましくない人物だったのでしょう。ヨハネが説教して、ヘロデが神様の御言葉に反した形で結婚をしていることを大胆にも叱ったため、ついにヘロデはヨハネを牢獄へ投げ込みました。しかし、ヘロデはヨハネを殺すことはできないまま、ヨハネの力強い宣教に喜んで耳を傾けていました。ここからの話は有名です。洗礼者ヨハネを憎んでいたヘロディアは、ヘロデの誕生日の祝会の席で自分の娘が浴びた賞賛をヨハネ殺害の口実にしたのです。この娘の名前はサロメ、紀元前10年頃生まれた彼女は例のヘロデの誕生会の時には20歳をやや下回る年齢の女性であり、踊りを披露しました。しかし、当時、王女が人前で踊ることはスキャンダルとみなされていたのです。
ヘロデ王の悪徳の宮廷では娘の踊りは酔いの回った人々の間で喝采を浴びました。ヘロディアの策略によりヨハネは首を切られ、こうして王と王妃の前からはついに邪魔者が取り除かれたかのように見えました。ところが、イエス様が神様の御国について説教なさったことを聞いて、ヘロデは自分の良心によって責められ、「イエスは、死者の中からよみがえったヨハネはないか」と怖れました。これでわかるように、ヘロデは自分が殺させたヨハネのことを心の中では忘れることができなかったのです。マルコによる福音書はこの矮小な王がどのような人生の結末を迎えたか、記していません。ヘロデは権力を失い、国外逃亡を強いられ、皆から忘れ去られて死にました。イエス様と洗礼者ヨハネがいなかったならば、ヘロデ王について耳にする機会は今の誰にもなかったことでしょう。


大群衆に食べ物を与える最初の奇跡 6章30~44節

使徒たちは伝道の旅から帰ってきました。イエス様は彼らを孤独になれるさびしいところに連れて行こうとされました。しかし、周りにいた群衆がイエス様から離れようとはしません。昔、イムラの子、預言者ミカヤが見たように(列王記上22章17節)、イエス様もまた民が「牧者のいない散り散りの羊の群れ」のようになっている有様を御覧になりました。イエス様は群集を避けずに、夕方まで彼らを教えられました。不意に何千人もの人々がイエス様の御許に集まってきていたこの状況では、食事のことなどは計画されてはいませんでした。イエス様は民のために食事を用意するように命じて、五つのパンと二匹の魚を祝福されました。こうして旧約聖書の奇跡が繰り返されることになったのでした。荒野を歩むイスラエルの民に対しては、十分なマナが与えられました。エリヤの時代にザレパテに住む寡婦に対しては、十分なかめの粉とびんの油が与えられました。エリシャもまた大勢の人に食べ物を与える奇跡を行いました(列王記下4章42~44節)。このように、福音書のこの箇所のメッセージは「何千人もの人々が食べて満ち足りた」ということだけではありません。イエス様のみわざは、「神様は御自分の救いのみわざをイエス様を通して繰り返しておられるのであり、しかもこの救いのみわざは、以前(旧約聖書の時代)のものよりもさらに偉大なものである」ということを意味していました。