第3回目の集まりのために
マルコによる福音書3章7~35節
イエス様は12人の使徒を召されました。またイエス様の評判がまわりに広がっていきました。それと共に、イエス様に反対する人たちも増えてきました。
1)人々は様々な方角からイエス様の御許に集まって来ました。それを地図で確かめてみてください。すでにこの段階でユダヤやエルサレムからも来ていた人たちがいた、というのは、この福音書の続きの部分と何か意味深いつながりがあるでしょうか?
2)なぜイエス様は使徒をちょうど12人だけ選ばれたのでしょうか?
3)「新しい12使徒がこの地上に存在しており、人々に誤謬なく教えている」と信じるグループがあります。あなたがたはこれについてどう思いますか?
4)イエス様の身内の者たちはイエス様を信じませんでした(3章21、31、35節)。なぜマルコによる福音書はこのことを包み隠さずにはっきりと述べているのでしょうか?
5)新約聖書が「主の兄弟」ヤコブについて何を語っているか、調べてください。ヤコブはマルコによる福音書6章3節で「イエス様の弟」として言及されています。おそらく彼もまたイエス様を家に連れ戻そうとしたグループに入っていたことでしょう(マルコによる福音書3章20~21節)。彼は自分の不信仰をもあらわにしました(ヨハネによる福音書7章1~10節)。ところが、イエス様が復活され昇天された後の状況を描き出している聖書の「使徒の働き」では、ヤコブはペテロの後任としてエルサレムの原始教会の指導者になっています(使徒の働き12章17節、15章13節、21章18節)。パウロはヤコブのことを「柱」と呼ばれる、教会の中心的な人物たちの一人として挙げています(ガラテアの信徒への手紙1章19節、2章9節)。
ヤコブの回心については新約聖書には記述がありません。この問題に関連した唯一の説明は、コリントの信徒への第1の手紙15章7節です。この箇所からどのようなことがわかるでしょうか?
6)「聖霊様を侮蔑すること」は、霊的、信仰的なことがらにかかわるカウンセリングでの話し合いの中でしばしば取り扱われるテーマのひとつです。それは、せっかく神様が人に仕事(使命)を与えようと招いてくださっているのに、その人がそれを軽んじて拒絶することです。つまり簡単に言うと、「不信仰」です。この不信仰の結果、神様なる聖霊様はその人を招くのを止められます。
聖霊様が人の中で仕事を止めてはおられないことを、私たちはどこから知ることができますか?何が聖霊様の使命でしょうか?たとえば、ヨハネによる福音書15章26節、16章12~15節を参照してください。
7)イエス様は御自分の母親や弟たちや妹たちと話すために出てこられようとはなさいませんでした。そして、神様の御心を行っている人皆が、御自分の母であり、弟であり、妹である、と言われました。
この御言葉は、誰に対して苦々しいものでしたか?誰に対して明るく喜ばしい教えでしたか?また私たちに対して、それはどのような意味を持っているでしょうか?