2008年11月5日水曜日

マルコによる福音書 第3回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言いました。
「これはひどい言葉だ。誰がこんなことを聞くに堪えうるだろうか。」
(ヨハネによる福音書6章60節)

この御言葉は私たちを慰めるために書かれています。「福音が世にどんどん広まっていくときに、福音を広めるのに最適とも思える人たちの中から福音を捨て去る者たちが意外にもあらわれる。」ということを私たちが知るために、この御言葉は与えられているのです。私がしばしば困惑したのは、御自分の弟子たちの中で説教職を務められるときに、キリストがあまりにも弱々しいため、悪魔が強気に出て、福音伝道の最前線に立っている者たち(ここでは弟子たち)さえも皆そろって福音を捨て去るような事態に立ち至らせる、ということです。「友よ、こんなに変なことが起きるようでは、先生の教えは正しいのだろうか。神様の御手は先生と共にあるのだろうか。」と誰しも考え込まずにはいられないことでしょう。
ここで私たちはすぐに目をつむってこう言わなければなりません。「立ちつづけることができないものは倒れるがよい。それでも真理は真理でありつづけるのだから。こんなことは驚くにはおよばない。主キリスト御自身にも同じことが起きたではないか。キリストも見捨てられたではないか。」
私たちも皆、耐えつづけることができますか。信仰を捨て去る者が増えようが、迫害が来ようが、かまいはしません。この教えを抹消することなど決してできないのですから。これからも福音は、権力や学者や貴族以外のものにその基礎をおいているのですから。

マルティン・ルター (「神様の子供たちに与えるマナ」)