2008年10月21日火曜日

マルコによる福音書 第2回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

私の中にとどまりなさい

「人はもしも私の中にいなければ、枝のように外に投げ捨てられて枯れてしまいます。それらはひとつにかき集められて、火に投げ込まれ、焼かれてしまいます。」(ヨハネによる福音書15章6節)と、イエス様は言われています。
私は、どうすればキリストの中にとどまって、「生の枝」でありつづけることができるのでしょうか。生きるために幹から流れ出る樹液を取り入れつづける限りは、枝は新鮮さを保ちます。枝は、木の助けを必要としつづける限り、緑の葉っぱと木の実をみのらせます。あなたは、キリストの血による罪の赦しを受けた「ちっぽけで惨めな罪人」でありつづける限り、「枝」でもありつづけるのです。キリストのからだと血とが貧しい罪人の唯一の(天国への)「旅のお弁当」です。あなたは、それらを自分に必要としつづける限りは、生きつづけることもできます。
「わたしのからだを食べ、私の血を飲む者は、私の中にとどまり、私もその人の中にとどまります。」(ヨハネによる福音書6章56節)と、イエス様は言われています。
まさしくこの「とるにたりない罪人の立場にとどまる」という点で、私たちは競い合わなければなりません。なぜなら、この「罪人の立場」にある者にとって、唯一の慰めは罪の赦しだけであり、魂を満たしてくれる唯一のことは十字架にかけられたキリストだけだからです。枝は、木の幹の樹液に依存している限りは、生のままでありつづけます。しかし、幹との関係が切れると、枝は刈り取られ、枯れて、燃やされてしまいます。

主イエス・キリスト様!私たちが「真のぶどうの木」なるあなたの中で「枝」としておいていただけていることを感謝します。あなたがすでに洗礼で私たちを御自分に結び付けてくださったことを感謝します。私たちがあなたの中にとどまることができるように助けてください。キリストよ、あなたこそが、私たちの心と魂が慕い求める唯一のお方であってくださいますように。あなたのからだと血とが、今日もまた私たちの唯一の「旅のお弁当」であり、私たちの飢えと渇きを癒してくださいますように。主よ、私たちを祝福してください!

K.V.タンミネン (「よい守りの中で」)