2008年10月9日木曜日

マルコによる福音書について 2章13~17節

お金を捨てた取税人 2章13~17節

ライ病の人の他にも当時の社会組織から疎外されていたグループがありました。たとえば、当時のユダヤ国家を武力で鎮圧支配してきた者たちと密接な関係にあった人々のグループです。ユダヤ人たちから特に嫌われていたのは、「取税人」と呼ばれる、ユダヤ人たちが税金をローマに納める仲立ちをする職業に就いているユダヤ人たちでした。ローマ人たちには単純で厳しいシステムがありました。どの属州で誰が税金を徴収するかについて、ローマでは競札が行われ、競りに勝った者は国に約束の金額を支払い、自分の担当になった属州から私益を吸い上げたのです。属州の担当者は自分で方々の町や村に出かけていくような真似はもちろんせずに、直接税金を集める仲介者を大勢採用したのです。競りに勝った者は、これら仲介者たちに税金を徴収する権利を貸与しました。このシステムの流れの中で各人は本来の税金に加えて不当な私益をせしめることに余念がありませんでした。このシステムの末端に位置していたのが、町や村でこうした汚職を行っていたユダヤ人たち(取税人)でした。そして、彼らの不当な税金の取り立て方が問題になることはほとんどありませんでした。こうした理由から、取税人は他のユダヤ人たちから憎まれ嫌われていたのです。この取税人とはまったく異なるタイプのグループを形成していたのが「ファリサイ人」と呼ばれる人たちです。高度に組織化された、厳しい規律の枠組みの中に生活するこのグループの信仰生活の核心をなしていたのは、神様がモーセにお与えになった律法に厳格に従うことでした。ファリサイ派は祭司階級や教養人たちの間から生まれましたが、時が経つにつれてあらゆる階層のユダヤ人からも強い支持を受けるようになりました。このグループの目標は、全国民がモーセの律法に従うようになることでした。彼らはこの律法に詳細な注釈を施し、「神様の命令を柵によって守る」ことを、すなわち聖なる命令を少しでも破る危険を犯さないように用心することを、求めました。ファリサイ派は細部にわたる規則を定め、それらを知悉し、教授したのですが、それは、一方では「宗教的な傲慢」を、また他方では神様の御前での真の罪悪感を、彼らの中に生み出しました。クリスチャンの多くはファリサイ人に対して非常に否定的なイメージを抱いているため、聖書が彼らについて与えている全体像を考えてみようともしません。他のいくつかのグループとは異なり、ファリサイ人たちはイエス様を侮蔑して遠ざかったりはしませんでした。イエス様はファリサイ人の家の食事会に招待されてもいます(ルカによる福音書7章36~50節)。彼らはイエス様と話し合いました。もっともそれはニコデモのようにひそかになされたこともあったでしょう(ヨハネによる福音書3章)。そして、激しく議論が交わされました。イエス様の復活の後で、何千人ものファリサイ人たちが、「イエス様がキリストであった」ということに確信を持ったのは間違いありません(使徒の働き15章5節、21章20節)。確かにイエス様はファリサイ人たちの偽善的な面を厳しく批判して、「ファリサイ人たちの義は神様の御前では十分ではない」と言われましたが(マタイによる福音書5章20節)、私たちクリスチャンが神様の真理を聞き学んで行こうとする姿勢は、ファリサイ人たちの熱心さにも到底及ばないものでしょう。

イエス様はレビを他の弟子たちと同様に召されました。レビは座っていた商売机を置き去りにしてイエス様に従いました。新しい弟子レビは盛大な祝会を催して、自分の友人たちを招待しました。取税人たちが多く集まっているこの祝会には、ふだんは神様について何の関心も持たない人たちも参加しました。こうして奇妙な構図が生じました。イエス様はその夕べを地方のもっとも有名な罪人たちとともに過ごされたのです。こうしたイエス様の行動をにがにがしく感じたファリサイ人たちに対して、イエス様は短くお答えになりました。「医者が要るのは健康な者ではなく、病人です。」
イエス様がお召しになるのは、罪のない人ではなく、罪人なのです。