2008年10月24日金曜日

マルコによる福音書について 3章7~21節

強まる反対

マルコによる福音書3章7~35節

前回では、イエス様の活動によって皆がいかにイエス様の権威の偉大さに驚嘆したか、述べました。一方では、イエス様の活動がどのように人々の反対と怒りを生むようになっていったかについても触れました。今回の箇所では、この反対と怒りが強まっていく過程を、私たちは目の当たりにすることになります。


広まっていくイエス様の評判 3章7~12節

イエス様はゲネサレ湖のほとりで仕事をつづけておられました。イエス様は福音を説教し、病人を癒し、悪霊を人々から追い出されました。イエス様は悪霊が御自分について証できないように口を封じられました。イエス様の評判は時と共に広がっていきました。そして、イエス様のはじめられた運動も拡大していきました。ガリラヤだけではなく他の地方からも人々はイエス様の御許に押し寄せてきました。遠く北やユダヤやエルサレムからも、イエス様の話を聞きに、あるいはイエス様に助けを求めに、人々が訪れました。イエス様の周りは人で混み合うようになったのです。


12人の使徒たち 2章13~19節

イエス様は12人の使徒たちと共に山に登りました。イエス様は彼らにまったく特別な使命を用意しておられたのです。イエス様にはこの使徒のグループに属していない弟子たちや親しい友人たちもたくさんいました。

主がちょうど12人の使徒を選んだのは偶然ではありません。彼らがイスラエルの12部族に対応するように選ばれたのは間違いないでしょう。彼らには神様の御国においてまったく独自の使命がありました。彼らはキリストの受難と復活の証人となったのです。キリストの教会は常に「使徒的な信仰」の中に留まっているところにのみ存在してきました。

イエス様に従った人たちをより詳しく調べてみると、いろいろ興味深いことがわかってきます。とくに驚くべきことは、イエス様は「政治的には互いにまったく異なった考え方をしている者たち」をひとつにまとめられた、ということでしょう。カナネ―ウス・シモンは疑いの余地なく「ゼーロータイ」(熱心党)に属する民族解放運動の闘士でした。一方で、同じ使徒のグループには(ローマの手先として働いていた)取税人も属していました。このように、イエス様の使徒たちの中には本来なら互いに最悪の敵同士であるはずの人々がひとつのグループとなり、先生の赴くところならどこにでも従って行ったのでした。


イエス様の不信仰な身内の者たち 3章20~21節

イエス様の周りに集まる人たちの群れはどんどん増えていくばかりでした。マルコによる福音書は予想外の出来事について手短に報告しています。イエス様の身内の者たちは、イエス様の権威を理解せず、イエス様を家に連れ戻すつもりでした。彼らはイエス様の頭がおかしくなったのだと思い込み、イエス様を群集の中から連れ出そうとしました。イエス様の身内の者たちの不信仰については、他の福音書にも記述があります(とりわけヨハネによる福音書7章1~10節)。とはいえ、後になってイエス様の身内の者たちも、イエス様の権威が神様がお与えになった「本物」であることを信じるようになったように見えます。今扱っている箇所でイエス様の身内の者たちがイエス様のことがわからなかったという「盲目さ」は、マルコによる福音書では「メシアの秘密」と呼ばれる大きな全体の流れの中で理解されるべきものなのでしょう。福音書は、意外で残念な出来事であってもそれを無視して素通りしたりはしません。そのようなこともまた「イエス様の主権がどれほど隠されたものであったか」を示しているからです。