2018年9月7日金曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック  1章13〜25節 結論へ!(その1)

 1章13〜25節 結論へ!(その1)

「ペテロの第一の手紙」の典型的な特徴は、
すでにこの最初の章にあらわれています。
この手紙ははじめに、
神様が私たちにしてくださったことについて語り、
すぐその後で、
このことに基づく私たちの生き方について語ります。

パウロの手紙では息の長い文章が続きます。
「ローマの信徒への手紙」はこの最良の例と言えます。
しかし、このペテロの手紙の文章には「ヘブライの信徒への手紙」と同様に、
とても短いものも含まれています。
この特徴のおかげで、
「ペテロの第一の手紙」は読みやすくわかりやすいものになっています。

神様は何をしてくださったのか?
この神様の御業は私の生き方にどのような影響を与えるのか?

このパターンが手紙全体を通じて繰り返し展開されていきます。

エジプトでの隷属状態の中で生活していたイスラエルの民は
「故郷に帰る支度をするように」との命令を神様から受けました。
過越の食事はこの出来事を記念するものでした。
奴隷の状態から解放されるために
エジプトを出発しようとしていることについて、
イスラエルの民はこの段階ではまだ一切知らされていませんでした。
しかしその一方で、彼らは
「旅支度を整えた上でこの食事をとるように」という指示を受けていました。

旧約聖書のこの出来事のイメージを用いて、
今ペテロは手紙の読者にも「旅支度を整える」ように奨励しているのです。
苦しみの時はもうすでにはじまっています。
しかし、それは長く続くものではありません。
主は近くにおられます。
この世における人生は永遠に続くものではありません。

2018年9月3日月曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 1章3〜12節 喜びと苦しみと(その3)

1章3〜12節 喜びと苦しみと(その3)

次に、今述べたことよりも学ぶのがはるかに難しいと思われる
第二のことがらをとりあげることにします。

手紙の受け取り手が苦しみに対してどのような態度をとるべきであるか、
ペテロは教えます。
そして、
神様の偉大さと、言葉では表現できないほどの善き本質とについて語ります。
そうすることで、キリスト信仰者が苦しみに対してとるべき態度を説くのです。
その姿勢は感動的でさえあります。

ペテロは、
キリスト信仰者の受けている苦しみに対して
無理やり理屈を付けて説明しようとはしません。
神様の行いをむやみに正当化しようともしません。
神様に対してあまりにも賢しげな態度をとることもありません。

ペテロの手紙の文章は
新約聖書の「エフェソの信徒への手紙」の3章を思い起こさせます。
それは理由なく投獄された使徒パウロが自らに与えられた
「特権的な地位」について深い喜びをもって語っている章です。
言葉にできないほどの神様の善き本質について
宣べ伝えることができたことをパウロは喜んでいます。
「ペテロの第一の手紙」の教えは
これとまったく同質のものであると言えます。

苦しみの問題に対する最初の、
そしておそらくは唯一の答えは、
キリストにおいて具現化した、
言葉に表現できないほどの神様の善なる本質でしょう。

2018年8月27日月曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 1章3〜12節 喜びと苦しみと(その2)

1章3〜12節 喜びと苦しみと(その2)

神様の御業に対する喜び、および、それに基づく慰め、
という二つの要素が
この手紙の始めから終わりまでの基本的なテーマになっています。
神様の御国に属する者たちは、
この世においては
容易ならざる苦しみを甘受するほかない状態に置かれています。
しかし、これらの苦しみはわずか短い間だけ続くものです。
それは金細工職人が金属を取り扱う様子に比較できます。
金属は高熱の炉の中ですっかり溶解します。
精錬され形を整えられて、最終的には美しく素敵な玉飾りになるのです。
これと同じように
「信仰」という金が安物の金属の場合よりも
さらに過酷な条件の下で精錬されたとしても、
キリスト信仰者は驚いたり怪しんだりするべきではありません。
精錬によって作り上げられる最終的な形態、
すなわち神様の御許における「永遠の命」は、
どのような玉飾りよりもはるかに高価な宝物だからです。

この箇所ではまず、
旧約聖書と新約聖書が一体になっていることを私たちは確認します。
現代において、旧約聖書は
内容的に軽視されたり違和感を持たれたりすることが多い書物です。
しかし、旧約聖書に対するこのような現代人の態度は
キリスト教会には本来まったくそぐわない考え方です。
なぜなら、
新約聖書は旧約聖書なしには存在し得ない書物だからです。
旧約の預言者たちとキリストとは、
ひとまとめにして理解されるべきなのです。

2018年8月22日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 1章3〜12節 喜びと苦しみと(その1)

 1章3〜12節 喜びと苦しみと(その1)

新約聖書のパウロの多くの手紙では、
はじめの挨拶の後に神様への感謝が続いています。
「ペテロの第一の手紙」もまったく同じようにしてはじまります。

この手紙の受け取り手たちは困難な状況の只中に置かれています。
しかし、手紙はそのことについてではなく、
神様とその偉大さについてまず語り始めます。
すべての出来事の始点には大いなる神様の働きかけがあるからです。
その大いなる御計画について、
神様はかつて旧約の預言者たちに啓示なさいました。
その御計画を預言者たちが神様の民に伝えていったのです。
今や、イエス様を通して永遠の救いの御業は成し遂げられ、
御計画はすっかり用意が整えられました。
これは死の只中における「新しい命」のことを指しています。
神様は十字架で死んだ御子イエス・キリストを
死者たちの中から復活させてくださいました。
またそれを通して、
イエス・キリストを救い主として信じるこの手紙の受け取り手たちにも
「新しい命」を授けてくださったのです。
あらゆる危害から守られて清く理想的な状態に保たれている
「天の御国」という遺産を受け継ぐために、
キリスト信仰者たちは今もなお「真の故郷への旅」を続けているのです。

2018年8月8日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 1章1〜2節 手紙の差出人と受け取り手

「ペテロの第一の手紙」第1章

1章1〜2節 手紙の差出人と受け取り手

古典古代における慣習に則って、
書き手の名前がこの手紙の冒頭に記されています。
書き手の名は使徒ペテロです。
すでに冒頭の数節において、
この手紙全体に通底するテーマが登場しています。
すなわち、
苦しみを受けている寄留者であり
神様の選ばれた民でもある人々に向けて
この手紙は書かれた、ということです。

「寄留者」としての生き方は信仰の教えに基づくものであり、
手紙の受け取り手たちの日々の生活と深い関わりがありました。
手紙の受け取り手たちは小アジアに偏在していました。
彼らはユダヤ人であるかどうかには関わりなく、
今や少数派として生きることを余儀なくされていました。
彼らの置かれた状態は旧約の民のそれと似ていました。
主の民は荒野を横断して約束の地への帰還の旅を続けました。
そして、そこに到着するまでは、
他所の土地に慣れ親しんでしまうことは許されないことでした。
この生き方は、当時も今もキリスト信仰者にとっての模範となるものです。

その一方で、手紙の受け取り手たちは、
たんに苦境に立たされている寄留者だっただけではなく、
全能なる神様が選び分かち愛してくださる民でもありました。
神様がこの世のはじまる前に用意なさった救いの計画を自ら実現され、
彼らをイエス様の血によって聖別なさったのです。
「イエス・キリストの血の注ぎを受けるために」(1章2節)という表現は、
この手紙においてこれから展開されていくことになる
最も重要なテーマを予告しています。
すなわち、私たちはキリストの血によって清められている、ということです。

2018年6月7日木曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 素晴らしい生き方を宣べ伝える

素晴らしい生き方を宣べ伝える

このペテロの手紙は
とても困難な状況の下に置かれた人々に向けて書かれています。
自分の犯した過ちのせいで苦しみを受けるのがどれほど辛いことであるか、
ということは誰もが知っていることです。
ましてや、
自分の側に落ち度がなかったにもかかわらず
苦しみを受けなければならなくなった場合には、なおさらのことです。
当時のキリスト信仰者たちは
まさにこの後者のケースが当てはまるような状況に置かれていました。
彼らは誰に対しても何か悪いことをしたわけではありません。
にもかかわらず、
人々は彼らを憎悪し、あらゆる面で悪者扱いしました。
ローマ皇帝も庶民も、あらゆる階層の人々が皆こぞって、
キリスト信仰者を憎悪することを
あたかも彼ら自身の使命であると思い込んでいるようにさえ見えました。
キリスト信仰者は処罰の対象となり、流血の事態も起きました。
このような状況において、
キリスト信仰者はいったいどのように行動するべきなのでしょうか。

「ローマ皇帝や他のすべての人々に対して敬意を払うように」
と使徒ペテロはキリスト信仰者を奨励しました。
キリスト信仰者たちが彼らから不当に苦しみを受けていることを
この手紙の書き手はもちろん知っていました。
そうであっても、キリスト信仰者は
すべての人間に愛を示し罪の赦しを与えるべきであることを、
ペテロは奨励しているのです。

もしも自らの悪い行いのゆえに苦しみを受けることになるのなら、
自分自身を責めてしかるべきでしょう。
しかし、
もしもあなたが不当な理由から苦しみを受けることがあるのなら、
どうかその苦しみを「神様の恵み」とみなしてください。
後者のケースの場合の「模範」となるのは、
私たちの身代わりとして死の苦しみを引き受けてくださった
キリスト御自身です。
キリストはまったく罪のないお方であったにもかかわらず、
御自身に死刑宣告を下した人々や虐待を加えた人々に対して、
威嚇するような姿勢を一切示されませんでした。
今日でもこのイエス様の態度は、
キリストへの信仰を公に告白したせいで苦しい目にあっている人々に対して
「本当に素晴らしい生き方とはどのようなものであるか」を知らせてくれます。
これは、
自分を圧迫してくる者たちのことを赦し、
彼らに祝福を静かに願うという生き方です
(もちろん、これは圧迫などの悪行自体を容認するという意味ではありません)。
これは、
人に見せびらかすものでも自分を「殉教者」に祀り上げることでもなく、
心から素直にそれを実践していく生き方です。

2018年6月5日火曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 誰が、誰に宛てて、どうして、この手紙を書いたのでしょうか?

誰が、誰に宛てて、どうして、この手紙を書いたのでしょうか?

手紙に明記されている書き手の名は、
イエス・キリストの使徒ペテロです。
彼は手紙の受け取り手のことを
「神様によって選ばれた寄留の民」と表現しています。

「イエス・キリストの使徒ペテロから、
ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤおよびビテニヤに
離散し寄留している人たち、すなわち、
イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、
父なる神の予知されたところによって選ばれ、
御霊のきよめにあずかっている人たちへ。
恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。」
(「ペテロの第一の手紙」1章1〜2節、口語訳)

手紙のこの箇所には、小アジア地方の(全てではないですが)
多数のローマの属州の名が記されています。
ということは、
手紙の受け取り手たちは現在のトルコの地域に居住していたことになります。
彼らの大多数は
異邦人(つまりユダヤ人ではない)キリスト信仰者であったと思われます。
手紙の成立時期を正確に知るのは困難です。
唯一の手がかりは迫害です。
ローマ帝国全域にわたる最初の大規模な迫害は
皇帝ドミティアヌスによるものです。
それは西暦90年代に起こりました。
すでにそれ以前にペテロは殉教の死を遂げており、
死に勝利した天の御国の教会の一員に加えられていました。
当時のキリスト信仰者たちはすでに以前から各地で憎悪の対象となっていました。
ですから、
この手紙は最初の大規模な迫害の起こる以前に書かれていた可能性もあります。
この手紙を書き取ったのはシルワノという名の人物です(5章12節)。
彼はパウロの古くからの同僚で共に牢獄生活を送ったシラスと
同一人物であったとも考えられます(「使徒言行録」5章12節)。
このことについてはガイドブックの終わりで取り上げることにします。