1章3〜12節 喜びと苦しみと(その3)
次に、今述べたことよりも学ぶのがはるかに難しいと思われる
第二のことがらをとりあげることにします。
手紙の受け取り手が苦しみに対してどのような態度をとるべきであるか、
ペテロは教えます。
そして、
神様の偉大さと、言葉では表現できないほどの善き本質とについて語ります。
そうすることで、キリスト信仰者が苦しみに対してとるべき態度を説くのです。
その姿勢は感動的でさえあります。
ペテロは、
キリスト信仰者の受けている苦しみに対して
無理やり理屈を付けて説明しようとはしません。
神様の行いをむやみに正当化しようともしません。
神様に対してあまりにも賢しげな態度をとることもありません。
ペテロの手紙の文章は
新約聖書の「エフェソの信徒への手紙」の3章を思い起こさせます。
それは理由なく投獄された使徒パウロが自らに与えられた
「特権的な地位」について深い喜びをもって語っている章です。
言葉にできないほどの神様の善き本質について
宣べ伝えることができたことをパウロは喜んでいます。
「ペテロの第一の手紙」の教えは
これとまったく同質のものであると言えます。
苦しみの問題に対する最初の、
そしておそらくは唯一の答えは、
キリストにおいて具現化した、
言葉に表現できないほどの神様の善なる本質でしょう。