2018年11月5日月曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 2章1〜10節 キリスト信仰者は王族の祭司階級に属しています(その1)


「ペテロの第一の手紙」第2章

「神様の民」に属しているのは誰でしょうか?

「ペテロの第一の手紙」はすでに第1章において、
私たちにこの手紙の特徴を伝えています。
この手紙には
素晴らしい「福音」とそれに続く「奨励」とが交互に記されているのです。
そして、この特徴は第2章でも続きます。


2章1〜10節 キリスト信仰者は王族の祭司階級に属しています(その1)

この章のはじめの2節は前に述べられた内容のまとめでもあります。

「草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る」
(1章24節、口語訳)。

これは本当です。
ですから、
キリスト信仰者は「小さい子ども」のようにならなければなりません。
生まれたばかりの乳児はただの水を瓶から飲むだけでは満足しません。
「混じり気のない本物の乳」以外のものだけでは満ち足りないのです。
本来、キリスト信仰者も
この「小さい子ども」とまったく同じような存在であるべきです。
私たちは神様の御言葉という「混じり気のない乳」以外のもので
満足するべきではありません。
もしも私たちに対して御言葉をねじ曲げた偽物が差し出される場合には、
教会全体が大声で異議を唱えるべきなのです。

聖書の他の箇所においてもしばしば見受けられる粛然とした態度で、
手紙の奨励の部がはじまります。
キリストは「隅の親石」です。
たしかに、はじめにキリストは捨てられました。
しかし、それから後になって、
キリストこそが「神様の御国」という建築物全体を支える
中心部であることが理解されるようになりました。

このようにして
「キリストの教会」についてのイメージが具体的に形作られていきます。
このイメージによれば、
キリスト信仰者は各人が「一個の石」として
神様の建築物の一部分を構成しています。

「神様の建築物とその一部分としてのキリスト信仰者」という同じイメージは
「エフェソの信徒への手紙」の第2章にも登場します。
「神様の宮」の一部分にさせていただくのは、
人間にとってこの上ない光栄です。