2014年5月28日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 4章 どうしてアブラハムが出てくるのでしょうか?


「ローマの信徒への手紙」4

どうしてアブラハムが出てくるのでしょうか?


最初の1章から3章までで、パウロは福音の核心を紹介しました。
すなわち、人は皆、罪深い存在だが、
イエス様を信じる時にその罪が赦される、ということです。
今彼は、アブラハムについて語ることを通して、福音の説明を続けます。
それにしても、どうしてアブラハムなのでしょうか。

ユダヤ人にとって、アブラハムはずっと特別な存在でしたし、
それは今でも変わりません。
彼はユダヤ民族全員の父祖だからです。
神様はアブラハムに対して現れて、彼に関わる約束をお与えになりました。
このことをおさらいするためには、
「創世記」の12章から25章までを読み直してみるとよいでしょう。
そこでは、どうしてユダヤ人が皆、
自らを「アブラハムの子孫」と呼んでいるかが、
はっきりとわかります。

神様との契約の証印として、アブラハムは割礼を受けました。
この出来事以来、彼の子孫は皆、
この割礼という慣習に従ってきたのです。

しかし,パウロによれば、
神様の御前で人が救われることは、
落ち度のない立派な生き方をしてきた結果としての報酬ではなく、
罪の赦しを信じることにのみ基づいていることを、
すでにアブラハムは知っていました。

このように、使徒パウロは、
ここでアブラハムについて語ることを通して、
ユダヤ人全員を一網打尽にしようとしているのです。
すなわち、
旧約聖書全体にわたる聖徒の一群もまた、
アブラハムと共に、
キリストに属する人々の仲間入りをすることになるわけです。


今回取り上げる箇所は、
多くの意味で非常に理解が困難なものに見えます。
それでも、あきらめないで学ぶべき理由があるのです。
この箇所は、
旧約聖書のモーセの律法の定める食事や犠牲を捧げることに
関わる規定に従わなくてよい、という根拠を、
私たちキリスト信仰者に与えるのものだからです。