2014年5月21日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 3章21〜31節 キリストの血における神様の恵み(その3)



キリストの血における神様の恵み 32131節(その3)


私たちは、神様から義を下賜された身なのですから
あたかも自分たちが神様の御心に沿って生きてきたかのように思い込んで、
それに依拠して自らのことを誇ることはできないし、
また、そうしたいとも望みません。

私たちの善い行いは、
罪の赦しをいただくために必須な前提条件ではありません。
こと罪の赦しに関わる事柄においては、
善い行いを罪の赦しを受ける根拠に持ち出してはいけないのです。
神様の裁きの座において、人が罪の赦しを受けるためには、
自らの善い行いでは足りないからです。

罪の赦しに関しては、
イエス様の十字架のゆえに、
あらゆることが完全に神様からの賜物でなければならないのです。

パウロは、すでにこの時点で中間試験を実施します。
今まで述べて来たことが本当なら、
もはや神様の御旨は結局この世では 実現しなくなってしまうのではないか、
という問題が提示されます。
罪の赦しをいただける以上、
人々は平気で神様の戒めを少しも遵守しなくなるのではないか、
という疑問です。
いやそうはならない、とパウロは答えます。
人々は善なる神様とその愛の深さとをよく知るようになるので、
神様の御旨は以前にも増して実現していくようになる、というのです。

しかし、このことについて、
パウロはここではこれ以上語ろうとはしません。
それは「血の福音」に関係する事柄だからです。
すなわち、あなたは、
自分の善い行いとは関係なく、神様の子どもであり、
キリストの死と復活のゆえに、すべての罪が赦された存在である、
ということです。
そして、
この福音と全く関わりが持てなくなるほど罪深い人間は、一人もいません。