「ヨハネによる福音書」9章
第9回目の質問
イエス様は、目が見えない状態で生まれた男の人を癒されます。
そして、一体誰の目が見えず、誰の目が見えるのか、
をめぐって議論が始まります。
1)イエス様が地上で生きておられた時代には、
身体障害者はどのような生活を送っていましたか。
当時の社会福祉はどのようなものだったのでしょうか。
2)2節で、生まれつき目が見えない人間は、
イエス様の弟子たちにとってどうして問題だったのでしょうか。
3)イエス様のお答えに基づいて、身体障害者の人生について
何か一般的なことを結論することができるでしょうか。
私たちの人生において、罪と病気との間には因果関係があるのでしょうか。
4)イエス様がここでまた安息日に癒しの奇跡を行われたのは偶然だ、
とあなたは思いますか。
なぜイエス様は安息日に病人を癒されたのでしょうか。
5)6節で、なぜイエス様は
つばきでこねた泥を目の見えない男の人の目に塗って癒されたのでしょうか。
イエス様の癒しの御言葉だけでは足りなかったのでしょうか。
6)22~23節で、生まれつき目が見えなかった人の両親が、
イエス様の癒しの奇跡について
ユダヤ人たちに自分たちでは答えず、
息子に答えさせたのは正しかったのでしょうか。
7)「もしもあの方が神の人でなかったなら、
そのような奇跡を行うことはできなかったことでしょう」。
奇跡はいつの場合でも確実に神様が行われたものなのでしょうか。
「マタイによる福音書」7章22~23節を読んで、話し合ってみてください。
8)34節で、ファリサイ派の人々が
イエス様を信じようとはしなかったのはどうしてでしょうか。
9)39節で、「目が見えない」という言葉で
イエス様は何を意味しておられますか。
10)この章全体の核心にあるのは、
霊的に目が見えないのは誰で、見えるのは誰か、ということです。
霊的な盲目さは、この章ではどのような形であらわれていますか。
私たちの生きている現代では、それはどのような形態を取っていますか。
人が霊的に盲目になるのはどうしてでしょうか。
11)35~38節で、目の見えなかった男の人は目が見えるようになり、
信仰を告白します。
「ヨハネによる福音書」の今までのところに登場した、
「彼らは信じました」と言われている、
その「彼ら」について考えてみてください。
この男の人の信仰は、彼らの信仰とどのような点で異なっているのでしょうか。