2013年4月15日月曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 9章35~41節 目の見えない人が見え、目の見える人が見えない


 
目の見えない人が見え、目の見える人が見えない 93541
  
 
この箇所はイエス様のふたつの会話で閉じられます。
ひとつは目の見える人との会話であり、
もうひとつは目の見えない人との会話です。
ここで示されているのは、
イエス様にどのような態度を取るかによって、
人は霊的に目が見えるようになったり、
目が見えなくなったりする、
ということです。
イエス様は、
ユダヤ人たちによって外に追いやられた男の人を、
自らすすんで捜されます。
「ヨハネによる福音書」には、
人が無条件で信仰を告白する箇所が幾つかあります。
以前目が見えなかった男の人の口からも、それが聞かれます。
彼はイエス様を「人の子」、来るべき裁き主として信じ、
イエス様にひざまずいてお祈りします。
その傍らには、ファリサイ派の人々が立っています。
彼らに対するイエス様の言葉は厳しいものです。
人が霊的に盲目になるのは、それだけでも十分に悪いことです。
しかし、その上自分自身の視力の確かさに頼るのは、
さらに事態を悪化させるばかりです。
換言すれば、
人々が唯一の救い主を拒絶することだけが、
ひどい仕業なのではありません。
一番ひどいのは、
「自分は助けなど必要としない」、という思い込みです。
人が霊的に傲慢になるのは、
人の心が最悪の形でかたくなになることです。
そういう人たちにとって、
最後の裁きの時に人の子がこの世に再臨するのは、
恐怖の不意打ちとなるでしょう。

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