2010年2月1日月曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 2章その2



ユダヤ人と異邦人

「エフェソの信徒への手紙」第2章を読む上で欠かせない背景知識は、
当時の世界にあったユダヤ人と異邦人との間の区別です。

私たち現代人にとって、この問題を理解するのは容易ではありません。
私たちにはこれについて日常での経験が欠けているからです。この問題は、私たちが聖書を理解するのをもっとも妨げている問題のうちのひとつだと、私は思っています。
とりわけ、「ローマの信徒への手紙」と「ガラテアの信徒への手紙」、それともちろん「エフェソの信徒への手紙」を理解しようとするときに、この問題が関係してきます。

誰が異邦人か、という問題の核心は次のようにまとめることができます。
神様は約束をアブラハムとその子孫にお与えになり、イスラエルを御自分の民に選ばれました。
たしかにすでに旧約聖書が、
神様はこのように人間界全体に近づき、
イスラエルの民を諸国民の祭司のような存在とし、
アブラハムにおいて世のすべての諸国民を祝福することを望まれていることを、
私たちに思い起こさせてくれています。

にもかかわらず、ユダヤ人と異邦人との区別は明瞭で厳密なものでした。
ユダヤ人たちは真の神様を礼拝し、モーセの律法を所有していました。
それに対して、他のすべての諸国民は道を見失い、偶像を礼拝していたのです。

当時の日常生活は実際にそのとおりであったことを証明しています。
ユダヤ人たちは自分の居住区に住むのを常としていました。
そして、異邦人のもとを訪れたり、彼らと共に食事をしたり、彼らと婚姻関係を結んだり、彼らと同じ宗教的な行事を行ったり、彼らと同じ神様を礼拝したりはしませんでした。

もちろん、周囲の環境に多かれ少なかれ溶け込んでいったユダヤ人たちも中にはいました。
しかし、神様を畏れるユダヤ人にとっては、
異邦人から分離することは、命のかかったことがらだったのです。