2010年2月3日水曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 2章その3



異邦人伝道のはじまり

キリストが御自分の弟子たちを被造物すべてに福音を宣べ伝えるために世界中に派遣されたとき、当然ながらこの派遣命令は「異邦人への伝道」も意味していました。
しかし、どのようにしてでしょうか?

注意深い読者は、「使徒の働き」が、ユダヤ人と異邦人の間に古くからある境界線を越えることがいかに難しかったかについて語っていることにはっきり気がつくことでしょう。

意思に反しつつも、聖霊様に促されて、使徒たちは福音をまずはじめにサマリア人に伝える勇気を得ました(使徒の働き第8章)。
そして、それから最初の異邦人たちに洗礼を授けることができました(使徒の働き第10~11章)。

アンティオキアの教会に派遣されたパウロとバルナバは、すでに最初の宣教旅行で福音を伝えていきました。その福音によれば、異邦人たちはモーセの律法に従うことを要求されません。また彼らには割礼を施す必要もありません。ナザレのイエス様は御許に異邦人もお招きになっているのです。

エルサレムにいたクリスチャンの中には、「信じて洗礼を受けた異邦人はまだ真のクリスチャンではない」、と考える人たちがいました。そこから激しい論争が巻き起こりました。
彼らの意見によれば、そのような異邦人もまたモーセの律法を遵守して、そのしるしとして割礼を受けるべきだ、ということになります。
この問題を解決するために、エルサレムでは使徒の会議が開かれました。
会議の雰囲気は熱気を帯びていました。
この会議について、パウロ(ガラテアの信徒への手紙第2章)とルカ(使徒の働き第15章)は互いに少し異なった形で報告しています。
この会議では以下のことが決められました。
モーセの律法に従うことはユダヤ人にとっても異邦人にとっても「救いの道」ではないこと、
(モーセの律法はもともと異邦人に対して与えられたものではないため)異邦人はモーセの律法から自由であること、
異邦人クリスチャンとユダヤ人クリスチャンとの共同生活をある種の規定によってある程度まで容易なものにすること(「使徒の働き」による)、
パウロはどこであれ異邦人クリスチャンの間で、エルサレムの初代教会の貧しい人たちのために、愛の献金を集める責任を受け持つこと、
です。