2010年2月8日月曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 2章その4

行き止まり?


パウロの宣教した福音は、皆が驚くような実を結びました。小アジアや大陸沿岸のギリシアのあちこちには、パウロが開拓伝道した教会がありました。教会員はモーセの律法に従って割礼を受けるべきだ、と主張する教師がこれらの教会に現れたときに、激しい衝突が起きました。こうした戦いの中で生まれたのが、ガラテアの信徒への手紙であり、ローマの信徒への手紙です。キリストとその死のみが唯一の救いの理由であることを、パウロは最後まで確固として主張しつづけました。この論争を解消するために、パウロはしまいにはエルサレムに出発しました。そして、彼は捕らえられました。


エフェソの信徒への手紙では?

「エフェソの信徒への手紙」においては、激しい論争はすでに過去のものとなっています。神様の救いのみわざと、その理解を超えた奇跡全体を、調和と美を保ちつつ提示する時が熟したのです。まさしくこの第2章で、ユダヤ人と異邦人との関係が話題として取り上げられます。この手紙の受け取り手の大部分は異邦人として生まれた人たちでした。今、私たちは「エフェソの信徒への手紙」の教えの核心にいるのです。