2010年2月15日月曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 2章11~22節その1


2章11~22節 しかし、彼らは異邦人でしょう?(その1)

この章の終わりの部分の背景として、ユダヤ人と異邦人の間に存在していた「溝」を考えに入れておかなければなりません。

手紙の受け取り手たちは、以前は神様とはまったくかかわりがなく、神様の民からも隔てられ、希望もなく生きていました。
ところが、今やキリストの血が彼らを遠くから神様の近くへと連れてきました。
そして、神様の恵みにあずかり、神様の民の一員とされたのでした。

「エフェソの信徒への手紙」は見事なイメージを用いつつ(実は非常に多くのイメージを何重にも)、「神様の建物」について語っています。
神様はキリストにあって、ユダヤ人と異邦人を分け隔てている壁を取り去りました。
そうして、両者をひとつの神様の神殿としました。
この神殿は使徒や預言者(の伝えた神様のメッセージ)を基礎として建てられています。
その壁は洗礼を受けたユダヤ人と異邦人とから構成されており、隅のかしら石はキリスト御自身です。
私たちのよく知っている十字架の形は、テキストが語っている出来事を視覚化します。
すなわち、神様はキリストにあって、すべての人間との平和を築かれました。
十字架の縦の木は、天と地との間のつながりを示しています。
一方、神様はユダヤ人と異邦人を隔てる壁を取り除かれました。
十字架の横の木は、人々の間の新しいつながりを示しています。
こうして、異邦人はもはや他人や外国人ではなく、神様の家族の一員であり、神様の民となったのでした。