2008年11月21日金曜日

マルコによる福音書について 4章24~34節

成長させてくださる神様 4章24~29節

イエス様は神様の御国や御言葉について語られます。イエス様はたとえを説明はなさいません。しかし、たとえ自体は容易に理解されるはずです。農夫が種を蒔きました。その後は長い間何もすることがありません。種は芽を出し、まったく自然に茎を伸ばし、それから穂をつけ、さらに穂の中に実をならせます。ようやく収穫のときになって、農夫は畑に向かいます。このたとえでは農夫は神様であり、畑は世であり、種は神様の御言葉です。つまり、神様はこの世では御言葉を通して働きかけられているのです。神様が望まれることを実現するのは、御言葉です。信仰が人々の間に広がっていくのは、人間の業績ではなく、神様の奇跡です。時が来て、神様は御言葉を人々に与えてくださいます。また、「神様の時」が来ると、神様は刈入れをするために使者を派遣されます。ここで「刈入れ」は最後の裁きを意味していると思われます。


小さな種から大きな木へ 4章30~34節

私たちに馴染み深いからし種の木はとても小さく取るに足りないものに見えます。それは蒔かれるとぐんぐん成長して、終いには大きな木になります。麦の実よりもずっと小さい種も驚くほど大きく成長するわけです。これと同じように、神様の御国もこの世では非常に小さく取るに足らないような存在に見えます。しかし、それはどんどん成長して強くなり、ついには全国民に避けどころを提供するほどまでになります。大きな木の陰に巣を作る空の鳥たちのたとえは、ダニエル書への引用です(4章16~19節)。その箇所ではネブカドネザルの強大な権力が「いたるところに枝を伸ばしている木」にたとえられています。ダニエルはネブカドネザルに対して、神様がこの「大木」すなわちバビロン帝国を倒すことを予言しているのです。これとは反対に、小さくて取るに足りないように見える神様の御国は大きく強く成長していくわけです。