第4回目の集まりのために
マルコによる福音書4章1~34節
イエス様は神様の御国についてたとえを話されます。
1)イエス様がたとえを用いることで、神様の御国を聴衆の大部分に対して隠しておられるのは、不意を衝かれる思いがします(4章11~12節)。イエス様にはこうなさるどのような権利をおもちなのでしょうか?イエス様は今でも同じようになさることがありうるでしょうか?この問題について、私たちは何を考えるべきでしょうか?
2)現代では、どのような人たちが、どのような状況で、御言葉を聞いてもすぐに忘れてしまうものでしょうか?
3)現代では、どのような人たちが、御言葉を聞いてそれを受け入れても、すぐにそのあとそれを捨ててしまいますか?
4)現代では、どのような人たちが、この世的な欲望のせいで神様の御言葉を忘れてしまうものでしょうか?イエス様は富について厳しく警告しておられます。それは私たちにとってどういう意味があるでしょうか?
5)種蒔きの人のたとえは、神様の御言葉に対してどのような意味を与えていますか?聖書は、私たちの所属しているそれぞれの教会において、それにふさわしい位置づけがなされているでしょうか?
6)「ともし火を入れ皿の下に隠し置いてはいけない」とイエス様は言われています。私たちは神様の御言葉を周りの人たちに公に伝えることを恥ずかしく思っていますか?しかし、そうすることで、神様が私たちを罰して私たちから御言葉を取り去られるとしたら、どうですか?
7)神様の御言葉には4章26~29節のたとえも関係しています。このたとえのメッセージは何でしょうか?
8)神様の御国を待ち望んでいたクリスチャンたちの他にも、まったく新しい世界を待望していた人たちがいました。現代において、より公正で平等な新しい世界を望んでいる人々と、私たちクリスチャンの間には、どのような共通点と相違点があるでしょうか?
9)4章30~32節を読んでください。どの国が今現在における大国であり、誰がこの世の運命を握っているように見えますか?神様の御国は「からし種の木」のように私たちの目には「小さく取るに足りないもの」に見えるのでしょうか?この聖書の箇所に基づいて、私たちの信仰について、何か具体的な結論を導くことができますか?