病人たちの癒し 1章29~34節
イエス様の権威には「病人たちの癒し」という出来事も関係しています。シモン(ペテロのこと)の舅やほかの多くの病人は、「イエス様はまことの主が遣わされたお方であり、命を与えてくださる神様の代表者である」ことを目の当たりにしました。ここで再び、「デーモンはイエス様について証することを許されなかったこと」が語られます。これはいわゆる「メシアの秘密」に関係しています。[1]
「イエス様の運動」の拡大 1章35~39節
イエス様のたった一日の活動によって、カペルナウムは騒乱に陥りました。皆イエス様を捜し求めましたが、無駄でした。イエス様は祈るために孤独な場所に引きこもられたのです。弟子たちがイエス様を見つけたとき、イエス様は彼らを隣村に連れ出し、そこで福音を説教されました。悪霊は退き、病人は癒されました。こうして「神様の火」がその地方に燃え広がって行きました。
この神様の火が燃え広がっていった最初の場所がガリラヤ地方の小さな町や村であったのは注目に値します。ガリラヤの大きな中心部でも、もちろんユダヤでも、イエス様はまだこの段階では説教なさってはいませんでした。
ライ病人の清め 1章40~45節
イエス様の時代のパレスチナには社会組織の外部に追いやられた人々がいました。私たちは、マルコによる福音書を通して、多くのこうしたグループに出会うことになります。
それらのうちのひとつはライ病人のグループです。ライ病はやっかいな不治の皮膚病とみなされていました。この病気に罹った者はほかの人たちから隔離・追放されました。後代のラビたちの教えを調べてみると、この追放は徹底的になされました。ときにはライ病人に対して石を投げつけるという手段もとられました。「人は何かの「罪」の結果としてライ病に罹るのだ」と人々は考えました。たとえば、「高慢な目、嘘をつく舌、罪のない者の血を流させる手、神様をないがしろにしたひどい考えを好む心、悪い行いへと急ぐ足、証人の立場にありながら恥知らずな嘘をつくこと、兄弟の間に怒りの火を掻き立てること」などという罪です。
イエス様はこのようなライ病の男を見て癒されました。こうすることでイエス様は「病人は他の人々よりも罪深く侮蔑されるべき存在だ」という考えを斥けられたのでした。「この癒しについて誰にも話してはいけない」という絶対的な禁止がここでも語られます。またしても「メシアの秘密」です!癒された男はイエス様の命令を無視して、イエス様の奇跡について皆に話して回りました。その後、イエス様は当時の町々の狭い道端で活動していくことをお止めになりました。人々があらゆるところか御自分に会いに来れるように、イエス様は荒野に留まるようになったのです。
[1] これについては序を参照のこと。
フィンランド・ルーテル福音協会は1900年以来日本にルター派の宣教師を派遣し続けてきました。このブログでは、この宣教師団体の聖書や信仰生活に関する教えをフィンランド語から日本語に翻訳して紹介します。(夏は不定期更新になります)。
2008年9月19日金曜日
2008年9月15日月曜日
マルコによる福音書について 1章14~28節
福音の始動 1章14~15節
ヘロデ王は洗礼者ヨハネを投獄し、後に殺させました(6章14~29節)。しかし、ヘロデ王は「神様の声」を沈黙させることはできませんでした。ヨハネが黙すると、今度はイエス様が活動を始められたのです。イエス様の教えの中には、人々を悔い改めへと導くことを目標としている「預言者たちの説教」が響いています。そこにはしかし、まったく新しい面があらわれています。すなわち、今や「神様の時」は満ちました。神様はまもなく革新的に公然と活動されます。神様の御国はこのように近くに来ているのだし、今までの長い間にわたる「待ちの時期」は過ぎました。「時が満ちる」という話は何百年もの間イスラエルの人々が待ち続けていたことがらに関係しています。預言者たちは大胆に人々の前に現れ、キリストと主の御国にかかわる神様の約束を伝えてきたのです。今やその約束が実現する時が来ました。イエス様の説教がどれほど力強く、豊かな内容に満ちていたのか、私たちの理解を超えています。
最初の弟子たち 1章16~20節
イエス様は人生の大部分をガリラヤで過ごされ活動されました。そこで最初の弟子たちをも召されました。イエス様がいかに率直に「ある人々」を御自分に従うように召されたかについて、福音は語っています。弟子たちはそれまでの自分の職業をその場で捨てました。猟師であった彼らの網は他の人にゆだねられました。イエス様のペルソナには、弟子たちをイエス様と行動を共にさせるような理解しがたい何かがあったのです。こうしてペテロやアンデレ、またヤコブとヨハネはイエス様と共に出発したのでした。彼らは、イエス様に最も近しい弟子として、後の教会が賞賛し模範とするような「召し」を受けたのです。12人の使徒たちには、はっきりとした特別な地位がありました。
カペルナウムでのイエス様 1章21~28節
ガリラヤ地方に位置するカペルナウムという町のシナゴーグ(集会堂)でイエス様は、マルコによる福音書が記している最初の「しるしのみわざ」を行われました。ユダヤ人たちには唯一の神殿がありました。それはエルサレムにありました。そこでのみ神様に犠牲をささげることが許されていました。エルサレム神殿のほかに、あちこちにたくさんのシナゴーグが存在し、そこでは安息日ごとに「律法と預言者」[1]が読まれました。ユダヤ人の男は、聖書の箇所を読んでその内容を説明することが許されていました。カペルナウムのシナゴーグを訪れたイエス様はこのやり方を利用したのです。イエス様の説教は聴衆に大きな驚嘆を惹き起こしました。そこには律法学者たちの教えとはまったく異なる権威が反映していました。イエス様が律法学者の伝統には属していないことは、聞き手にとってあきらかでした。さらに大きな驚嘆を巻き起こしたのは、説教と関係して、もうひとつの権威が示された時でした。すなわち、イエス様は汚れた霊を人から追い出されたのです。
汚れた霊、すなわちデーモンを人から追い出すことは、ユダヤ教文献には遅くとも紀元前200年前には現れ始めます。汚れた霊とは、神様の敵サタンが人の中に送り込んだものです。イエス様の生きておられた時代には、霊を操ることを職業とする者たちが大勢いました。そしてその大部分はユダヤ人であり、ギリシア人やローマ人にはあまりいませんでした。そのようなユダヤ人たちはその秘術を持ってローマの指導者層の人々、とりわけ、後に皇帝となるティトゥス・ヴェスパシアヌスやその諸侯を驚嘆させました。
イエス様が汚れた霊に取り付かれた男と出会ったとき、力と力の真の戦いが起きました。イエス様はイエス様の真の本質を見抜いたデーモンを沈黙させました。デーモンはイエス様の厳しい命令に従うことを余儀なくされ、驚くべきことに、取り付いていた男から出て行かざるを得なくなりました。ここでの福音の核心は、イエス様の「権威」にあります。それを反映しているのはイエス様の力強い説教であり、とりわけデーモンを追い出されたことです。人はサタンを軽蔑したりそれに反抗したりはできません。それができるのは神様のみです。イエス様がデーモンと戦うという大胆な行動を取ったのはどうしてでしょうか。そして、デーモンがイエス様に負けて「2番」に甘んじたのは、どうしてでしょうか。答えはひとつだけです。すなわち、イエス様は神様の権威によって活動されたのです。この出来事が生んだイエス様についての評判はガリラヤ全体に広まりました。
[1] 旧約聖書のことをさす。
ヘロデ王は洗礼者ヨハネを投獄し、後に殺させました(6章14~29節)。しかし、ヘロデ王は「神様の声」を沈黙させることはできませんでした。ヨハネが黙すると、今度はイエス様が活動を始められたのです。イエス様の教えの中には、人々を悔い改めへと導くことを目標としている「預言者たちの説教」が響いています。そこにはしかし、まったく新しい面があらわれています。すなわち、今や「神様の時」は満ちました。神様はまもなく革新的に公然と活動されます。神様の御国はこのように近くに来ているのだし、今までの長い間にわたる「待ちの時期」は過ぎました。「時が満ちる」という話は何百年もの間イスラエルの人々が待ち続けていたことがらに関係しています。預言者たちは大胆に人々の前に現れ、キリストと主の御国にかかわる神様の約束を伝えてきたのです。今やその約束が実現する時が来ました。イエス様の説教がどれほど力強く、豊かな内容に満ちていたのか、私たちの理解を超えています。
最初の弟子たち 1章16~20節
イエス様は人生の大部分をガリラヤで過ごされ活動されました。そこで最初の弟子たちをも召されました。イエス様がいかに率直に「ある人々」を御自分に従うように召されたかについて、福音は語っています。弟子たちはそれまでの自分の職業をその場で捨てました。猟師であった彼らの網は他の人にゆだねられました。イエス様のペルソナには、弟子たちをイエス様と行動を共にさせるような理解しがたい何かがあったのです。こうしてペテロやアンデレ、またヤコブとヨハネはイエス様と共に出発したのでした。彼らは、イエス様に最も近しい弟子として、後の教会が賞賛し模範とするような「召し」を受けたのです。12人の使徒たちには、はっきりとした特別な地位がありました。
カペルナウムでのイエス様 1章21~28節
ガリラヤ地方に位置するカペルナウムという町のシナゴーグ(集会堂)でイエス様は、マルコによる福音書が記している最初の「しるしのみわざ」を行われました。ユダヤ人たちには唯一の神殿がありました。それはエルサレムにありました。そこでのみ神様に犠牲をささげることが許されていました。エルサレム神殿のほかに、あちこちにたくさんのシナゴーグが存在し、そこでは安息日ごとに「律法と預言者」[1]が読まれました。ユダヤ人の男は、聖書の箇所を読んでその内容を説明することが許されていました。カペルナウムのシナゴーグを訪れたイエス様はこのやり方を利用したのです。イエス様の説教は聴衆に大きな驚嘆を惹き起こしました。そこには律法学者たちの教えとはまったく異なる権威が反映していました。イエス様が律法学者の伝統には属していないことは、聞き手にとってあきらかでした。さらに大きな驚嘆を巻き起こしたのは、説教と関係して、もうひとつの権威が示された時でした。すなわち、イエス様は汚れた霊を人から追い出されたのです。
汚れた霊、すなわちデーモンを人から追い出すことは、ユダヤ教文献には遅くとも紀元前200年前には現れ始めます。汚れた霊とは、神様の敵サタンが人の中に送り込んだものです。イエス様の生きておられた時代には、霊を操ることを職業とする者たちが大勢いました。そしてその大部分はユダヤ人であり、ギリシア人やローマ人にはあまりいませんでした。そのようなユダヤ人たちはその秘術を持ってローマの指導者層の人々、とりわけ、後に皇帝となるティトゥス・ヴェスパシアヌスやその諸侯を驚嘆させました。
イエス様が汚れた霊に取り付かれた男と出会ったとき、力と力の真の戦いが起きました。イエス様はイエス様の真の本質を見抜いたデーモンを沈黙させました。デーモンはイエス様の厳しい命令に従うことを余儀なくされ、驚くべきことに、取り付いていた男から出て行かざるを得なくなりました。ここでの福音の核心は、イエス様の「権威」にあります。それを反映しているのはイエス様の力強い説教であり、とりわけデーモンを追い出されたことです。人はサタンを軽蔑したりそれに反抗したりはできません。それができるのは神様のみです。イエス様がデーモンと戦うという大胆な行動を取ったのはどうしてでしょうか。そして、デーモンがイエス様に負けて「2番」に甘んじたのは、どうしてでしょうか。答えはひとつだけです。すなわち、イエス様は神様の権威によって活動されたのです。この出来事が生んだイエス様についての評判はガリラヤ全体に広まりました。
[1] 旧約聖書のことをさす。
2008年9月3日水曜日
マルコによる福音書について 1章1~12節
時は満ちた
マルコによる福音書1章
福音書の見出し 1章1節
マルコによる福音書は単純にしかも当時としてはめずらしい仕方で始まります。福音書の最初の節は福音書全体の見出しでもあるのです。そこでは、キリストの死と復活の時にようやくあきらかにされるべく創造の余地を残して伏せられていたことがらが、直接に語られているのです。それは、ナザレ人イエスが「キリスト」であり「神様の御子」でもある、ということです。福音書の使命はキリストの福音、喜ばしきメッセージについて語ることです。
「福音」という言葉にはたくさんの意味があります。私たちはマルコによる福音書とかマタイによる福音書などという表現に慣れています。しかし実はただひとつの福音があるのです。それは神様から人々へのメッセージです。新約聖書では福音はマタイ、マルコ、ルカやヨハネによって語られています。それぞれの福音書の視点はお互いに異なっていますが、メッセージはすべてに共通して「罪人たちに向けられた神様からの喜びの便り」です。
洗礼者ヨハネの説教 1章2~8節
新約聖書の魅力的な登場人物たちの中でも洗礼者ヨハネは見るものの目を釘付けにするような存在です。ヨハネの容姿も説教も旧約聖書の預言者たち、とりわけエリヤを思い起こさせます。洗礼者ヨハネの生活は厳しい節制と質素に貫かれていました。そしてこのような生活を送っている者にふさわしく、彼の説教もまた厳しさにみなぎっていました。その説教は大勢の民衆をひきつけました。洗礼者ヨハネについては福音書記者のほかにも当時のユダヤ人歴史家ヨセフスもまた書き記しています。イエス様の多くの弟子たちはもとはヨハネの弟子であったことを私たちは知っています。同様に、ヨハネの弟子たちは後にキリスト教会と競合するようなグループを形成し、「ヨハネが来るべきキリストであった」と信じていたことも、知られています。
マルコによる福音書は他の福音書と同様にヨハネ自身にはさほど注意を払わずに、むしろヨハネがキリストの先駆者であり新約と旧約の間のつながりを示している点に注目しています。イエス様の活動は旧約聖書がすでに語っていた神様の活動における「新しい局面」を意味していました。これを示しているのがまさしくヨハネの登場でした。彼はイザヤ書(40章3節)やマラキ書(3章1節)が予言していた、偉大なる主の到来を告げる使者なのです。神様の約束された救いのみわざはヨハネの活動をもって実現し始めました。ヨハネの宣教は厳しい悔い改めの説教でした。その影響によって民は自分の罪を告白し、その印として洗礼を受けました。ヨハネの洗礼は罪の赦しを保証するものではなく、父と子と聖霊の御名によるものでもありませんでした。それは罪の告白であり、神様の憐れみに寄り頼みつつ神様の御手に自分をゆだねることでした。それと同時に、神様がこの世の出来事の推移に対して革新的にかかわりをもって活動されることをも民は望んでいました。
イエス様の受洗と試練 1章9~12節
マルコはイエス様がどのようにヨハネから洗礼を受け、その後どのような試練にあわれたかについて飾り気なく語っています。イエス様が洗礼を受けられたのは非常に不思議なことです。ヨハネの洗礼は罪の告白を意味し、また神様の裁きの下に服することでもあったからです。他の福音書ではヨハネはイエス様が彼から洗礼を受けようとするのを妨げようとしたとも語っています。ともかくもイエス様が洗礼を受けられた瞬間に何か決定的に新しいことが起こりました。天が大きく開き、聖霊様が鳩のようにイエス様の上に降られ、神様の声が皆の前で証して「あなたは私の愛する子、あなたは私の心に適っている」という御言葉を告げたのでした。このようにマルコによる福音書の読者はすでにこの段階で、当時その場にいた人たちにとっては想像の域を出ずまた後でも人々の間で意見が対立することになる「ことがら」を知ることができます。すなわち、イエス様はたんなる人間ではなく、神様の御子であり、神様の権威に基づいて御父から与えられた使命を果たすためにこの世に来られた、ということです。
初期のキリスト教会の中には、「イエスははじめから神の子だったのではなく、神が彼を受洗の時に養子としたのだ」と教える者たちがいました。この聖書の箇所について今でもこのような説明を支持する聖書学者が多いです。しかし、聖書に書かれている以外のことをテキストから無理やり「深読み」しないことが大切です。ヨハネによる福音書の1章で「キリストは時の始まる前からすでに存在しておられた」ことが語られています。
イエス様の受洗についての大切な点は、「神様の御子が神様の御前で罪を告白された」ということです。「唯一の罪なきお方である神様の御子がヨハネの洗礼において私たちの罪の重荷を御自分の上に担い、それと同時に私たちの罪過についての責任を引き受けてくださった」と私たちは信じます。ここに福音の核心があります。すなわち、罪のないお方が罪人となられ、罪人である人間がこのお方のおかげで罪のない存在になるのです。
イエス様の試練についてはマタイやルカによる福音書により詳しく語られています。神様の多くの恵みの約束はほかでもない「荒野」にかかわっており(たとえばイザヤ書35章)、イエス様の受けられた40日間の試練の期間は、疑いなくイスラエルの民の40年間にわたる荒野での旅を反映しています。イスラエルの民が試みに負けたのとは異なり、イエス様は御父様に対して忠実を貫かれました。
マルコによる福音書1章
福音書の見出し 1章1節
マルコによる福音書は単純にしかも当時としてはめずらしい仕方で始まります。福音書の最初の節は福音書全体の見出しでもあるのです。そこでは、キリストの死と復活の時にようやくあきらかにされるべく創造の余地を残して伏せられていたことがらが、直接に語られているのです。それは、ナザレ人イエスが「キリスト」であり「神様の御子」でもある、ということです。福音書の使命はキリストの福音、喜ばしきメッセージについて語ることです。
「福音」という言葉にはたくさんの意味があります。私たちはマルコによる福音書とかマタイによる福音書などという表現に慣れています。しかし実はただひとつの福音があるのです。それは神様から人々へのメッセージです。新約聖書では福音はマタイ、マルコ、ルカやヨハネによって語られています。それぞれの福音書の視点はお互いに異なっていますが、メッセージはすべてに共通して「罪人たちに向けられた神様からの喜びの便り」です。
洗礼者ヨハネの説教 1章2~8節
新約聖書の魅力的な登場人物たちの中でも洗礼者ヨハネは見るものの目を釘付けにするような存在です。ヨハネの容姿も説教も旧約聖書の預言者たち、とりわけエリヤを思い起こさせます。洗礼者ヨハネの生活は厳しい節制と質素に貫かれていました。そしてこのような生活を送っている者にふさわしく、彼の説教もまた厳しさにみなぎっていました。その説教は大勢の民衆をひきつけました。洗礼者ヨハネについては福音書記者のほかにも当時のユダヤ人歴史家ヨセフスもまた書き記しています。イエス様の多くの弟子たちはもとはヨハネの弟子であったことを私たちは知っています。同様に、ヨハネの弟子たちは後にキリスト教会と競合するようなグループを形成し、「ヨハネが来るべきキリストであった」と信じていたことも、知られています。
マルコによる福音書は他の福音書と同様にヨハネ自身にはさほど注意を払わずに、むしろヨハネがキリストの先駆者であり新約と旧約の間のつながりを示している点に注目しています。イエス様の活動は旧約聖書がすでに語っていた神様の活動における「新しい局面」を意味していました。これを示しているのがまさしくヨハネの登場でした。彼はイザヤ書(40章3節)やマラキ書(3章1節)が予言していた、偉大なる主の到来を告げる使者なのです。神様の約束された救いのみわざはヨハネの活動をもって実現し始めました。ヨハネの宣教は厳しい悔い改めの説教でした。その影響によって民は自分の罪を告白し、その印として洗礼を受けました。ヨハネの洗礼は罪の赦しを保証するものではなく、父と子と聖霊の御名によるものでもありませんでした。それは罪の告白であり、神様の憐れみに寄り頼みつつ神様の御手に自分をゆだねることでした。それと同時に、神様がこの世の出来事の推移に対して革新的にかかわりをもって活動されることをも民は望んでいました。
イエス様の受洗と試練 1章9~12節
マルコはイエス様がどのようにヨハネから洗礼を受け、その後どのような試練にあわれたかについて飾り気なく語っています。イエス様が洗礼を受けられたのは非常に不思議なことです。ヨハネの洗礼は罪の告白を意味し、また神様の裁きの下に服することでもあったからです。他の福音書ではヨハネはイエス様が彼から洗礼を受けようとするのを妨げようとしたとも語っています。ともかくもイエス様が洗礼を受けられた瞬間に何か決定的に新しいことが起こりました。天が大きく開き、聖霊様が鳩のようにイエス様の上に降られ、神様の声が皆の前で証して「あなたは私の愛する子、あなたは私の心に適っている」という御言葉を告げたのでした。このようにマルコによる福音書の読者はすでにこの段階で、当時その場にいた人たちにとっては想像の域を出ずまた後でも人々の間で意見が対立することになる「ことがら」を知ることができます。すなわち、イエス様はたんなる人間ではなく、神様の御子であり、神様の権威に基づいて御父から与えられた使命を果たすためにこの世に来られた、ということです。
初期のキリスト教会の中には、「イエスははじめから神の子だったのではなく、神が彼を受洗の時に養子としたのだ」と教える者たちがいました。この聖書の箇所について今でもこのような説明を支持する聖書学者が多いです。しかし、聖書に書かれている以外のことをテキストから無理やり「深読み」しないことが大切です。ヨハネによる福音書の1章で「キリストは時の始まる前からすでに存在しておられた」ことが語られています。
イエス様の受洗についての大切な点は、「神様の御子が神様の御前で罪を告白された」ということです。「唯一の罪なきお方である神様の御子がヨハネの洗礼において私たちの罪の重荷を御自分の上に担い、それと同時に私たちの罪過についての責任を引き受けてくださった」と私たちは信じます。ここに福音の核心があります。すなわち、罪のないお方が罪人となられ、罪人である人間がこのお方のおかげで罪のない存在になるのです。
イエス様の試練についてはマタイやルカによる福音書により詳しく語られています。神様の多くの恵みの約束はほかでもない「荒野」にかかわっており(たとえばイザヤ書35章)、イエス様の受けられた40日間の試練の期間は、疑いなくイスラエルの民の40年間にわたる荒野での旅を反映しています。イスラエルの民が試みに負けたのとは異なり、イエス様は御父様に対して忠実を貫かれました。
マルコによる福音書について 序 その3
福音書の内容の区分け
マルコによる福音書はその舞台となっている地域に基づいて区分けするのが最良のようです。はじめの部分(1章1節~8章26節)は主にガリラヤにおけるイエス様の活動について語っています。次の部分(8章27節~10章)はエルサレムとゴルガタへと向かわれるイエス様の道を描いています。最後の部分(11章~16章)はエルサレムにおけるイエス様の受難と復活について語っています。
マルコによる福音書はその舞台となっている地域に基づいて区分けするのが最良のようです。はじめの部分(1章1節~8章26節)は主にガリラヤにおけるイエス様の活動について語っています。次の部分(8章27節~10章)はエルサレムとゴルガタへと向かわれるイエス様の道を描いています。最後の部分(11章~16章)はエルサレムにおけるイエス様の受難と復活について語っています。
2008年8月21日木曜日
マルコによる福音書について 序 その2
福音書の特徴
マルコによる福音書は「受難のキリスト」について語っています。十字架につけられた神様の御子についての話しが当時の古代世界の人々をどれほど傷つける受け入れがたいものだったか、私たち現代人にはとうてい理解しがたいことです。十字架刑は考えうる限り最も屈辱的な死に方でした。初代教会の多くのクリスチャンがイエス様の十字架を恥じたのは、無理もありません。ところが、こうした恥じはマルコによる福音書には痕跡すらありません。福音書の約半分はイエス様の受難について語っています。イエス様が捨て去られることを暗示する暗雲はすでに福音書のはじめのほうに見えます(たとえば3章22~30節、6章1~6節)。イエス様がこの世に来られたのは、周りから仕えられるためではなく、辱めを受け十字架で殺されるためでした。このように、福音は十字架の神学に基づいて読まれるべきなのです。
マルコによる福音書のもうひとつのはっきりとした特徴は、いわゆる「メシアの秘密」と呼ばれるものです。イエス様は御自分が本当は誰であるかについて決して誰にも告げないように、悪霊に対してばかりではなく御自分の弟子たちに対しても命じられました。イエス様の真のお姿はすでに洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった瞬間に顕示されましたし(1章11節)、わずか少数の目撃者のいる中で「栄光の山」においても示されました(9章7節)。これらの例外的な時を除けば、イエス様がキリスト(つまりメシア)であることは長い間非常に注意深く隠されていました。どのような権威によってイエス様が活動されているか、いろいろな人たちが時には怪しみつつまた時には怒りながら問いただしました。しかし、答えを得ることはありませんでした。これはいまだにマルコ福音書の研究における難問です。ともかく、「メシアの秘密」は祭司長たちと全議会の前であきらかにされます(14章55節以降)。そこでイエス様は大祭司の質問に明確にお答えになりました。イエス様は神様の御子でありキリストなのです。このことをイエス様の死の際にローマの百人隊長もまた公に告白します(15章39節)。おそらく「メシアの秘密」によって福音書は私たちに「イエス様が真のキリストであることは、辱めを受け私たちのために十字架にかけられたお方としてのみはっきり示される」ことを教えているのでしょう。多くのユダヤ人たちはキリストが政治的な解放者とか目に見える具体的なかたちの神の国の創始者になってくれることを勝手に期待していたのです。このように「メシアの秘密」もまたマルコによる福音書の十字架の神学の一部なのです。
マルコによる福音書の3番目の特徴は、福音書がイエス様の奇跡について非常にたくさん言及していることです。これは、人々が奇妙な出来事についてなら喜んで読むからだ、というわけではありません。旧約の民の只中で偉大な奇跡を行ってくださった同じ神様は、奇跡が再び繰り返される「新しい救いの時」がこれから到来することを聖書の中で約束してくださったのでした(たとえばイザヤ書35章)。イエス様の働きの中で旧約聖書に語られている多くの奇跡が繰り返されました。それらの奇跡は「ナザレのイエスは神様の権威に基づいて活動し、御自分の民を新しい時代に移された」ことを示していました。
マルコによる福音書は「受難のキリスト」について語っています。十字架につけられた神様の御子についての話しが当時の古代世界の人々をどれほど傷つける受け入れがたいものだったか、私たち現代人にはとうてい理解しがたいことです。十字架刑は考えうる限り最も屈辱的な死に方でした。初代教会の多くのクリスチャンがイエス様の十字架を恥じたのは、無理もありません。ところが、こうした恥じはマルコによる福音書には痕跡すらありません。福音書の約半分はイエス様の受難について語っています。イエス様が捨て去られることを暗示する暗雲はすでに福音書のはじめのほうに見えます(たとえば3章22~30節、6章1~6節)。イエス様がこの世に来られたのは、周りから仕えられるためではなく、辱めを受け十字架で殺されるためでした。このように、福音は十字架の神学に基づいて読まれるべきなのです。
マルコによる福音書のもうひとつのはっきりとした特徴は、いわゆる「メシアの秘密」と呼ばれるものです。イエス様は御自分が本当は誰であるかについて決して誰にも告げないように、悪霊に対してばかりではなく御自分の弟子たちに対しても命じられました。イエス様の真のお姿はすでに洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった瞬間に顕示されましたし(1章11節)、わずか少数の目撃者のいる中で「栄光の山」においても示されました(9章7節)。これらの例外的な時を除けば、イエス様がキリスト(つまりメシア)であることは長い間非常に注意深く隠されていました。どのような権威によってイエス様が活動されているか、いろいろな人たちが時には怪しみつつまた時には怒りながら問いただしました。しかし、答えを得ることはありませんでした。これはいまだにマルコ福音書の研究における難問です。ともかく、「メシアの秘密」は祭司長たちと全議会の前であきらかにされます(14章55節以降)。そこでイエス様は大祭司の質問に明確にお答えになりました。イエス様は神様の御子でありキリストなのです。このことをイエス様の死の際にローマの百人隊長もまた公に告白します(15章39節)。おそらく「メシアの秘密」によって福音書は私たちに「イエス様が真のキリストであることは、辱めを受け私たちのために十字架にかけられたお方としてのみはっきり示される」ことを教えているのでしょう。多くのユダヤ人たちはキリストが政治的な解放者とか目に見える具体的なかたちの神の国の創始者になってくれることを勝手に期待していたのです。このように「メシアの秘密」もまたマルコによる福音書の十字架の神学の一部なのです。
マルコによる福音書の3番目の特徴は、福音書がイエス様の奇跡について非常にたくさん言及していることです。これは、人々が奇妙な出来事についてなら喜んで読むからだ、というわけではありません。旧約の民の只中で偉大な奇跡を行ってくださった同じ神様は、奇跡が再び繰り返される「新しい救いの時」がこれから到来することを聖書の中で約束してくださったのでした(たとえばイザヤ書35章)。イエス様の働きの中で旧約聖書に語られている多くの奇跡が繰り返されました。それらの奇跡は「ナザレのイエスは神様の権威に基づいて活動し、御自分の民を新しい時代に移された」ことを示していました。
2008年8月20日水曜日
マルコによる福音書について 序 その1
マルコによる福音書を読むためのガイドブック
読者へ
この本は聖書研究会、とりわけ信徒がグループの中心となるような集まりでの活用を想定して書かれています。ガイドブックはその都度読まれる聖書の箇所についての説明と質問と終わりのお祈りを含んでいます。
エルッキ・コスケンニエミ (日本語版翻訳編集 高木賢)
序 マルコによる福音書について
福音書を書いた人物、書かれた場所と時期
古くからあるキリスト教の伝承は、福音書記者マルコがペテロの通訳者としてキリストの弟子たちの長であるペテロに従ってあらゆるところに行った」と語っています(「パピアスの断片集」[1])。そして最後にはローマでペテロの語ったイエス様の教えを書き留めたというのです。パピアスの証言などの伝承の信憑性を疑う学者は多くいました。それはともかく、マルコによる福音書はしばしばペテロの視点から書かれている、という点は注目に値します。この福音書にはイエス様の実弟でありエルサレムの初代キリスト教会の後の指導者でもあったヤコブについてはその名前さえ述べられていません。ペテロの第1の手紙5章13節は、ペテロとマルコが一緒にローマにいたと語っています(その箇所で「バビロン」はあきらかにローマをさしています)。ルカとマタイがマルコによる福音書からその大部分をそれぞれの福音書に引用した後でもなお、初代教会はマルコによる福音書を大切に保存しました。マルコの背後には非常に信頼のおける伝承の継承者がいたのはまちがいありません。こういうわけで、ペテロとマルコの間にはなんらかの関係があった、と自然に推定することができます。
福音書の書かれた場所と時期を正確に決定するのは困難です。前述のようにローマで書かれたという説が古くからあります。この福音書はユダヤ人に対してというより異邦人に対して書かれています。書かれた時期はおよそ西暦70年頃、エルサレムが崩壊する少し前かあるいは崩壊した後まもなくのことであるのはまちがいなさそうです。
[1] パピアス断片集については次のリンクがあります。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/urchristentum/papias.html
そこにエウセビオス〔260/65-339〕が残した、パピアスのマルコスについての以下の証言があります。「これも長老が言っていたことだ。マルコスは、ペトロスの通訳者(hermeneutes)であって、記憶しているかぎりのことを、精確に書いた、ただし、主によって言われたことにしろ為されたことにしろ、順序立ててではない。なぜなら、主から〔直接〕聞いたのでもなく、これに付き従ったのでもなく、〔彼が付き従ったのは〕わたしが謂ったように、後になって、必要のために教えを広めたペトロスであって、主の語録のいわば集成のようなことをしたのではなかった、その結果、マルコスはいくばくかのことを思い出すままに書いたが、何らの過ちも犯さなかった。というのは、聞いたことは何ひとつ取り残すことなく、あるいは、そのさいに何らか虚言するもないよう、その一点に配慮したからである」。
読者へ
この本は聖書研究会、とりわけ信徒がグループの中心となるような集まりでの活用を想定して書かれています。ガイドブックはその都度読まれる聖書の箇所についての説明と質問と終わりのお祈りを含んでいます。
エルッキ・コスケンニエミ (日本語版翻訳編集 高木賢)
序 マルコによる福音書について
福音書を書いた人物、書かれた場所と時期
古くからあるキリスト教の伝承は、福音書記者マルコがペテロの通訳者としてキリストの弟子たちの長であるペテロに従ってあらゆるところに行った」と語っています(「パピアスの断片集」[1])。そして最後にはローマでペテロの語ったイエス様の教えを書き留めたというのです。パピアスの証言などの伝承の信憑性を疑う学者は多くいました。それはともかく、マルコによる福音書はしばしばペテロの視点から書かれている、という点は注目に値します。この福音書にはイエス様の実弟でありエルサレムの初代キリスト教会の後の指導者でもあったヤコブについてはその名前さえ述べられていません。ペテロの第1の手紙5章13節は、ペテロとマルコが一緒にローマにいたと語っています(その箇所で「バビロン」はあきらかにローマをさしています)。ルカとマタイがマルコによる福音書からその大部分をそれぞれの福音書に引用した後でもなお、初代教会はマルコによる福音書を大切に保存しました。マルコの背後には非常に信頼のおける伝承の継承者がいたのはまちがいありません。こういうわけで、ペテロとマルコの間にはなんらかの関係があった、と自然に推定することができます。
福音書の書かれた場所と時期を正確に決定するのは困難です。前述のようにローマで書かれたという説が古くからあります。この福音書はユダヤ人に対してというより異邦人に対して書かれています。書かれた時期はおよそ西暦70年頃、エルサレムが崩壊する少し前かあるいは崩壊した後まもなくのことであるのはまちがいなさそうです。
[1] パピアス断片集については次のリンクがあります。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/urchristentum/papias.html
そこにエウセビオス〔260/65-339〕が残した、パピアスのマルコスについての以下の証言があります。「これも長老が言っていたことだ。マルコスは、ペトロスの通訳者(hermeneutes)であって、記憶しているかぎりのことを、精確に書いた、ただし、主によって言われたことにしろ為されたことにしろ、順序立ててではない。なぜなら、主から〔直接〕聞いたのでもなく、これに付き従ったのでもなく、〔彼が付き従ったのは〕わたしが謂ったように、後になって、必要のために教えを広めたペトロスであって、主の語録のいわば集成のようなことをしたのではなかった、その結果、マルコスはいくばくかのことを思い出すままに書いたが、何らの過ちも犯さなかった。というのは、聞いたことは何ひとつ取り残すことなく、あるいは、そのさいに何らか虚言するもないよう、その一点に配慮したからである」。
2008年5月23日金曜日
クリスチャンと同性愛
エルッキ・コスケンニエミ (日本語版翻訳編集 高木賢)
1.どうしてこのテーマをとりあげるのでしょうか?
フィンランドの教会では1970年代には「同性愛」についておおむね次のように考えられていました。「私たち人間には皆、脱することが難しい独自の罪、悪い習慣があり、私たちはそれらと戦わなければならない。同性愛もまたこうした傾向のひとつである。クリスチャンは、自己の悪習がどんなものであれその悪習と戦っている他の人たちを、愛をもって支えていかなければならない。たとえば、飲酒の欲、不機嫌、貪欲、同性愛はそうした悪習である。同性愛の傾向のあるクリスチャンにとって、その傾向は努力して戦っていかなければならない事柄であり、人はそうした罪の傾向に支配されてはいけないのだ。」
しかし、1970年代以後、状況は変わりました。一般の意見は大きく変わり、もはや同性愛を罪とはみなさず、医学関係者たちも同性愛をたとえば人間の左利きと同じようなレベルで扱うようになったのです。
こうした一般の潮流と軌をひとつにして、教会の内部でも変化が起きました。たとえば、1990年代には同性愛者の学生たちの聖書研究会が活動し、教会の総会では、「教会が同性愛を異性愛と同等にみなすことを宣言すること」を要求する案が提出されたりしました。
2000年代に入り、隣のスウェーデンのルーテル教会では同性愛者同士が教会で結婚式を挙げることができるようになり、そのための式文も用意されています。また、同性愛者の結婚を司式することを拒む牧師は職を得るのが難しくなってきているようです。ここフィンランドでも教会の押し流されている方向はあきらかにスウェーデンと同じであり、そうしたことから言っても、このテーマを今取り上げることは時宜に適っています。
私たちクリスチャンのキリスト教の信仰を理解するためには、新約聖書の書かれる以前の時代に遡って問題を検討する必要があります。たとえば、古代ギリシア・ローマ文明や、とりわけ旧約聖書がどのように同性愛に対して接しているか。しかし、その前に、医学的な見地からこの問題に少し触れることにしましょう。
2.医学はどう言っていますか?
同性愛をめぐる議論を支配してきたのはいわゆるKinseyの報告書[1]です。それによると、男性のうち約4パーセント、女性のうち男性よりもやや少ない比率の人間が、同性愛の性交のみを行っている、というのです。現代ではこの報告書は厳しく批判されています。なぜなら、調査の対象となったのは一般の社会人のグループではなく、そこには犯罪の経歴のある人たちが不自然なほどの高い比率で入っていたからです。新しい研究によれば、男性のうち同性愛者は約1パーセントです。
同性愛についてははっきりした定義がありません。同性愛を異性愛と同等に扱おうとするあるグループは、当然ながらあいまいな定義を捏造します。それによると、同性愛とは、同じ性別の人間同士の互いに対する感情やファンタジーや行動のことです。そして、それらがどのように実現されようとそれが同性愛であることにはかわりがないこととされます。この「定義」は意図的に若者たちの強い友情の絆と同性愛との違いをなくそうとしています。私たちはここでは一義的な定義づけを行うことは控え、聖書は同性愛を「同性愛の性交」としてのみ捉えていることを挙げておくにとどめます。聖書は、同性愛の思想とか感情とかについては一切語っていません。
医学的な研究は同性愛の理由を説明することができずにいます。同性愛者たち自身、彼らの行動が彼らの性的な成長があるレヴェルでストップしてしまったためであるという説明をはっきりと拒絶しています。もともと生まれつきか、あるいは周りの環境の影響から、ある種の人たちは同性愛的な行動をとる傾向があります。これに加えて、すくなくともバイセクシュアル(異性愛と同性愛を両方とも行うこと)は学習の結果生じる現象である、ということを押えておくべきでしょう。このことは、バイセクシュアルという現象がどの程度一般的かは、同じ文化文明の中でも時代によってまちまちであることからもわかります。そして、ある民族の遺伝的な因子がそれほどまちまちに変化していくというのは、考えられないことです。
3.旧約聖書
よく知られているように、トーラー(モーセ5書、旧約聖書のはじめの5つの書物をさす)の同性愛に対する態度は無条件に厳しいものです。
「あなたは女と寝るように男と寝てはなりません。これは憎むべきことです。」(レビ記18章22節)
「女と寝るように男と寝る者は、両者ともに憎むべきことをしたのだから、必ず殺されなければなりません。」(レビ記20章13節)
町が滅ぼされる前に、ソドムの住民たちは、ロトのもとを訪れた神様の御使いたちに、ホモセクシュアル的な暴力を振るうために襲いかかろうとしました(創世記19章)。
多くの人は、同性愛を完全に拒絶するこうしたトーラーの姿勢を緩和するような例を旧約聖書の中から無理やり読み取ろうとしてきました。
たとえば、ダヴィデとヨナタンの間の強い友情を同性愛とみなそうとする人がいつの時代もいました。
「私の兄弟ヨナタン、あなたのため私は悲しみます。あなたは私にとって愛しい者でした。あなたが私を愛するのは世の普通のようではなく、女の愛にもまさっていました。」(サムエル記下1章26節。戦いに倒れたヨナタンを悼むダヴィデの言葉)
こうした「解釈」は、同性同士の真に深く強い友情がどれほどしばしば誤解されてきたかを物語っています。そしてこれはダヴィデやヨナタンの問題ではなくて、「解釈者」の誤謬なのです。
「旧約聖書は普通の同性愛についてではなく、カナン人たちのいろいろな宗教に付随したホモセクシュアルの職業的売春について批判しているのだ」と主張する人たちもいます。旧約聖書の同性愛に対するよく知られた嫌悪が当時の周辺世界の異教の儀式に関係していたことはまちがいありません。そうしたひどい儀式には、偶像モロクに子供を犠牲としてささげることや、男女間の猥雑な性的行動も含まれていました。
しかし、聖書の否定しているあること(同性愛)が、聖書の否定しているもうひとつ別のこと(異教の儀式)に結びついているからといって、「それゆえ、それら両方ともが許容されていて、神様の御心に適ったことである」などと結論することはもちろんできるはずがありません。
テキストを暴力的に曲解しようとはしない限り、旧約聖書が同性愛を許可したり、少なくとも同性愛を否定しないようにすることは到底不可能です。イエス様の時代のユダヤ教は当然ながらすべての点においてトーラーの規定に従っていました。資料の成立年代を決定するのは容易ではないとはいえ、少なくとも後になって文書として記録保存された伝統によれば、もしも同性愛を強制された者が12歳以上であった場合には、同性愛を行った者たちは双方とも石で打ち殺されなければなりませんでした(サンヘドリン7,4)。一方では、イエス様の時代のユダヤ人たちは同性愛と戦わなければなりませんでした(レヴィの遺言17、ナフタリの遺言4)。同性愛という現象はすでに当時存在していたのです。そして、ユダヤ教はそれを厳しく禁じ、それと戦っていたのでした。
4.ギリシア・ローマ文明
古代ギリシア世界では、人がバイセクシュアル(異性愛と同性愛の両方を行うこと)であることは非常に一般的であり、多くの場合承認された生き方でもありました。前古典期および古典期におけるギリシア(紀元前480~330年)は「男の世界」であり、そこでは同性愛は適当な生活様式でもありました。レスボス島の大女流詩人サッフォーの有名な詩はある種の性的な行動に名前を提供しました。他の多くの叙情詩人たちもまたホモセクシュアル的な愛をほめ歌っています。同性愛的な生き方にとくに重要な意味をもたせていたのはスパルタです。そこでは、若い男の子たちの年齢階層はこの「国民的な教育」とあいまって定められていました。共に戦っている者たちを結びつけていたのは、しばしばホモセクシュアル的な絆でした。アテナイでは、職業売春に基づくぺデラスティア[2]は制限されました。当時、ホモセクシュアルについて「それは自然に反した行為ではないか」という倫理的な疑問を投げかける人もいました。同性愛は新しい命の誕生を目的とするものではなく、人間を欲望の奴隷とするものであるからです(プラトン 法律1,636C)。しかし、たとえばプラトンの対話篇「饗宴」では、同性愛はまったく自然なことであるかのように取り扱われています。同性愛がどの程度の「不道徳」とみなされたかについては、ホモセクシュアルな者たちの間の三角関係から生じた喧嘩に関して、リュシアスの書いた法廷でのスピーチからうかがい知ることができます。法廷で事件の関係者は自分の欲望を審判者たちの前であきらかにしなければならなくなって少し恥ずかしくなります。しかし、そこで問題になっているのは、「自分の肉体の欲望に身を任せてよいか」という哲学者たちが警告していたことがらにすぎず、同性愛自体はさほど深刻に取り扱われてはいません。それはちょっとした悪習以上のものではなかったのです。
羊飼いの詩で有名なテオクリトスは、それから何百年か後のギリシア社会では、同性愛がすでに当たり前のこととみなされていたことを証拠立てています。
ローマ文明の黎明期に生きた喜劇作家プラウトゥス(紀元前254年頃~約184年頃)は同時代の民衆の言葉を用い、彼らの生き方や考え方を作品に反映させています。彼はまだ同性愛を「ギリシア人の慣習」と呼んでいます。
しかし、それから約百年後には状況がまったく変わっていました。大詩人の中ではカトゥッルス、「正しい人」と称えられているヴェルギリウス、またホラティウスなどは同性愛をまったく自然なことがらとみなしています。道徳的な詩の中でホラティウスは、「若い男たちは奴隷の少年か少女を手に入れるまでは、妻を得たりしないように」と忠告しています。辛らつなマルティアリスは、ホモセクシュアル的な行動の中にいろいろと笑いを誘うような特徴のある人たちのことをあげつらっています。
紀元後1世紀においても同性愛に対する人々の態度は以前と変わらなかったように見受けられます。理論的にも実生活でもホモセクシュアルとバイセクシュアルは、ヘテロセクシュアル(男女間の性関係)と同様に承認されていました。つまり同性愛は人々から完全に認められた生き方だったのです。そして、このような世界の只中で新しく生れたキリスト教が躍進を始めたのでした。はたしてキリスト教はこの同性愛という問題に対してどのような態度をとるのでしょうか?
5.新約聖書
同性愛に対する新約聖書の一番重要な姿勢は、よく知られているように、ローマの信徒へのパウロの手紙の中にあります(1章24~28節)。1章18~32節でパウロは、異邦人たちが神様の御前で罪人であることを示しています。異邦人たちは、神様の創造のみわざを目にしていながらも、神様を創造主として崇拝しようとはしませんでした。それどころか、彼らは神様の栄光を人間と動物の像のかたちに代えてしまいました。異邦人たちが「活きておられる神様」を捨てたため、活きておられる神様もまた彼らをお捨てになりました。パウロによれば、たとえば異邦人たちがどれほどひどく神様から離れ去っているか、まさにホモセクシュアルの問題にはっきりあらわれています。
「それゆえ、神様は彼らを侮蔑すべき情欲にお渡しになりました。すなわち、彼らの中の女性は、その自然な性的関係を不自然なものに代えてしまいました。同様に、男もまた同じように女性との自然な性的関係を捨てて、互にその情欲の中で燃え、男性は男性に対してみだらな行為をし、そしてその迷妄の当然の報復を自分の身に受けています。」(1章26~27節)
使徒パウロを通して与えられている神様のこの御言葉の背景には、旧約聖書とパウロの時代のユダヤ教とのホモセクシュアルに対する変わることのない嫌悪があります。
同性愛の傾向のある人たちと、異性愛の傾向があるにもかかわらず自然な傾向を他のものに「代えた」人たちとを区別することによって、パウロの考え方を救い出そうとする試みもあります。しかし、このような試みは、ユダヤ人たちの最高法院を原子力の反対派と賛成派に分けるのと同じくらい「自然」なことといえるでしょう。つまり、このような区別はパウロにとって思いもよらないものです。
パウロは、当時の異邦人たちが深い迷妄に陥っていることを示す絶好の例を見つけたのでした。つまり、異邦人たちにとって自然で、美しく、洗練されたことがらは、神様の啓示と、選び分かたれた民の確信とに基づけば、不自然で、不道徳で、ひどいことなのです。
同性愛は、「悪い行い」として初代キリスト教会が挙げている「一覧表」の中に少なくとも3回は登場しています。
コリントの信徒への第1の手紙6章9節では、アルセノコイタイ(同性愛の性交において能動的な側)とマラコイ(同性愛の性交において受身の側)が区別されています。双方について「このようなことを行う者たちは神様の御国を継ぐことはできない」と言われています。「あなたがたは知らないのですか」というパウロの言葉は、このことがコリントの信徒たち皆にとって周知であることを示しています。
初代教会では、人々が洗礼を受けるときに新約聖書の中にある「何が悪い行いか」を列記したリストの内容について教えを受けていたのは、まずまちがいありません。このように、初代教会は、異性愛の乱用や窃盗と同じように、同性愛もまたクリスチャンにはふさわしくない生き方であることを教会に属する者ひとりひとりがはっきりと知るように、取り計らったのでした。
他の箇所は、テモテへの第1の手紙1章10節と、フィリピの信徒へのポリュカルポス[3]の手紙5章3節です。後者の手紙にはコリントの信徒への第1の手紙からの直接の引用が含まれています。これらの箇所は初代教会の考え方をはっきり示しています。すなわち、(結婚生活における)異性愛は神様の創造のみわざに適った振る舞いであり、それを通して神様は御自分の賜物を分け与えてくださいます。それに対して、同性愛は自然に反したことであり、いかなる場合であってもクリスチャンにはふさわしくない生き方です。
6.教会の歴史
歴史的に見ると、ヨーロッパではキリスト教が広まっていくにつれて、人々の性的な行動も変わっていきました。同性愛は公共の場から消し去られ、禁じられたおぞましい振る舞いであるとみなされるようになりました。にもかかわらず、同性愛は決して消えることがありませんでした。それをよく物語っているのが、クリスチャンの国々における同性愛に対する厳しい罰則規定です。しかし1900年代に入ってから、状況が変わり始めました。この変化がはたして真の福音を見つけたことによるものか、それとも新たなる異邦化(反キリスト教化)の力が強まってきていることのおそるべき証拠であるか、私たちはそれぞれ見極めていく必要があります。
7.結論
ルター派の教義学は、それが御言葉の堅い基盤のみによって支えられていることを誇りとしています。人間的な考え方はどんどん変わっていきます。しかし、神様の御言葉は決して変わることがありません。ルター派では、倫理あるいは信仰にかかわる問題は昔から二つのグループに分けられてきました。ある事柄については聖書にはっきりと指示を与える御言葉がありますが、また別のことがらについては聖書は沈黙しています。ある問題について聖書が沈黙を守り、明瞭な聖書の箇所に直接基づいた指示を見出せない場合には、こうした問題は「どちらでもよいこと」(アディアフォラ)と呼ばれます[4]。こうした問題については、クリスチャンは、愛に留まりつづけることを忘れない限り、自己の良心に従って活動してもよいのです。ところが、聖書が何かの問題について語っている場合には、その問題はあらゆる時代のすべてのクリスチャンにとって、すでに「解決済み」なのです。これが伝統的なルター派の理解です。私は誇りをもって私たちの教会の伝統を告白し支持します。このような立場からみるとき、聖書はすでに同性愛という問題についても疑問の余地なく解決を与えていると、私は理解しています。もちろん、同性愛で苦しみ、それと戦っている人たちの心のケアのためには特別な知恵が要求されますが、それについてはここで触れることはできません。
私は1984年にこのテーマについて神学生たちに話をしたことがあります。約束どおり「ホモセクシュアルのクリスチャンのための聖書研究会」からも話を聞きに来た人たちがいました。盛んな議論が交わされました。その聖書研究会のグループの学生たちは、自分たちの弱さを認めてもらうことを周りから要求しませんでした。彼らの意見によれば、同性愛はクリスチャンにとって何の悪いことでもないのです。彼らの議論の根拠になっている考え方は教会でなされてきた女性牧師制についての議論の展開と同じでした。すなわち、「聖書は同性愛について語ってはいないか、あるいは、仮に語っているとしても旧約聖書だけだ。もしも新約聖書も同性愛について語っていることを認めなければならない場合でも、見なさい、イエスはこの問題について一度も語っていないではないか。パウロはたんなる人間だった。聖書を文字通りに受け取ってはいけないのだ。人が天国へ行くのは、その人がヘテロセクシュアルだからではなく、人が地獄へ行くのはその人がホモセクシュアルだからというわけでもない。」
彼らとの議論はすべてまったくむだだったように思えます。彼らにとって聖書の御言葉には何の価値も権威もないのです。
おそるべきことに、フィンランドの教会の神学者たち自身が、大学やメディアを通じてこのような「論理」を学生たちにも一般の教会員にも教え込んできたのです。同性愛の問題は、女性牧師制や離婚した人の再婚を教会で司式することや制度としての同棲を教会として容認することと同じように、上記に挙げたような議論のやりくちで片付けられてきました。同性愛の危険についての聖書の教えを無視して教会員に「違うこと」を教えている者たちは、「羊の群れの中にいる、羊のなりをした狼」です。もしも私たち牧師や神学者が神様の御言葉を軽蔑するように人々に教えるならば、私たちはこの国民が聖書の神様の語りかけを聴くことができなくしてしまうのです。この国(フィンランド)には神様の律法によって自己の良心をとがめられ、キリストが十字架で確保してくださった恵みに感謝して満ち足りるような「罪人」がもはやほとんどいないのではないでしょうか。それは非常に危険な状態です。
あるリベラルな聖書学者は「同性愛と聖書の問題」というテーマを掲げました。こうした問題設定はある意味で本質をついています。まさしく具体的な聖書の箇所について、私たちが本当に「聖書的」であるか、それともたんなる「保守的」であるにすぎないのか、が試されます。私たちクリスチャンの使命は、「岩」の上に教会を築くこと、神様の御言葉という決して裏切らない基盤に立つことです。このようにしてのみ、教会の最も貴い宝、キリストの血の福音が混じりけなく純正に保たれるのです。
[1] たとえば、”Sexual Behavior in the Human Male”(1948).
[2] 成人の男と若者の男との間の性的な教育関係をさす。
[3] 使徒教父のひとり。
[4] 詳しくは、ルーテル教会信条集・一致信条書の中の和協信条・根本宣言第10条を参照のこと。
1.どうしてこのテーマをとりあげるのでしょうか?
フィンランドの教会では1970年代には「同性愛」についておおむね次のように考えられていました。「私たち人間には皆、脱することが難しい独自の罪、悪い習慣があり、私たちはそれらと戦わなければならない。同性愛もまたこうした傾向のひとつである。クリスチャンは、自己の悪習がどんなものであれその悪習と戦っている他の人たちを、愛をもって支えていかなければならない。たとえば、飲酒の欲、不機嫌、貪欲、同性愛はそうした悪習である。同性愛の傾向のあるクリスチャンにとって、その傾向は努力して戦っていかなければならない事柄であり、人はそうした罪の傾向に支配されてはいけないのだ。」
しかし、1970年代以後、状況は変わりました。一般の意見は大きく変わり、もはや同性愛を罪とはみなさず、医学関係者たちも同性愛をたとえば人間の左利きと同じようなレベルで扱うようになったのです。
こうした一般の潮流と軌をひとつにして、教会の内部でも変化が起きました。たとえば、1990年代には同性愛者の学生たちの聖書研究会が活動し、教会の総会では、「教会が同性愛を異性愛と同等にみなすことを宣言すること」を要求する案が提出されたりしました。
2000年代に入り、隣のスウェーデンのルーテル教会では同性愛者同士が教会で結婚式を挙げることができるようになり、そのための式文も用意されています。また、同性愛者の結婚を司式することを拒む牧師は職を得るのが難しくなってきているようです。ここフィンランドでも教会の押し流されている方向はあきらかにスウェーデンと同じであり、そうしたことから言っても、このテーマを今取り上げることは時宜に適っています。
私たちクリスチャンのキリスト教の信仰を理解するためには、新約聖書の書かれる以前の時代に遡って問題を検討する必要があります。たとえば、古代ギリシア・ローマ文明や、とりわけ旧約聖書がどのように同性愛に対して接しているか。しかし、その前に、医学的な見地からこの問題に少し触れることにしましょう。
2.医学はどう言っていますか?
同性愛をめぐる議論を支配してきたのはいわゆるKinseyの報告書[1]です。それによると、男性のうち約4パーセント、女性のうち男性よりもやや少ない比率の人間が、同性愛の性交のみを行っている、というのです。現代ではこの報告書は厳しく批判されています。なぜなら、調査の対象となったのは一般の社会人のグループではなく、そこには犯罪の経歴のある人たちが不自然なほどの高い比率で入っていたからです。新しい研究によれば、男性のうち同性愛者は約1パーセントです。
同性愛についてははっきりした定義がありません。同性愛を異性愛と同等に扱おうとするあるグループは、当然ながらあいまいな定義を捏造します。それによると、同性愛とは、同じ性別の人間同士の互いに対する感情やファンタジーや行動のことです。そして、それらがどのように実現されようとそれが同性愛であることにはかわりがないこととされます。この「定義」は意図的に若者たちの強い友情の絆と同性愛との違いをなくそうとしています。私たちはここでは一義的な定義づけを行うことは控え、聖書は同性愛を「同性愛の性交」としてのみ捉えていることを挙げておくにとどめます。聖書は、同性愛の思想とか感情とかについては一切語っていません。
医学的な研究は同性愛の理由を説明することができずにいます。同性愛者たち自身、彼らの行動が彼らの性的な成長があるレヴェルでストップしてしまったためであるという説明をはっきりと拒絶しています。もともと生まれつきか、あるいは周りの環境の影響から、ある種の人たちは同性愛的な行動をとる傾向があります。これに加えて、すくなくともバイセクシュアル(異性愛と同性愛を両方とも行うこと)は学習の結果生じる現象である、ということを押えておくべきでしょう。このことは、バイセクシュアルという現象がどの程度一般的かは、同じ文化文明の中でも時代によってまちまちであることからもわかります。そして、ある民族の遺伝的な因子がそれほどまちまちに変化していくというのは、考えられないことです。
3.旧約聖書
よく知られているように、トーラー(モーセ5書、旧約聖書のはじめの5つの書物をさす)の同性愛に対する態度は無条件に厳しいものです。
「あなたは女と寝るように男と寝てはなりません。これは憎むべきことです。」(レビ記18章22節)
「女と寝るように男と寝る者は、両者ともに憎むべきことをしたのだから、必ず殺されなければなりません。」(レビ記20章13節)
町が滅ぼされる前に、ソドムの住民たちは、ロトのもとを訪れた神様の御使いたちに、ホモセクシュアル的な暴力を振るうために襲いかかろうとしました(創世記19章)。
多くの人は、同性愛を完全に拒絶するこうしたトーラーの姿勢を緩和するような例を旧約聖書の中から無理やり読み取ろうとしてきました。
たとえば、ダヴィデとヨナタンの間の強い友情を同性愛とみなそうとする人がいつの時代もいました。
「私の兄弟ヨナタン、あなたのため私は悲しみます。あなたは私にとって愛しい者でした。あなたが私を愛するのは世の普通のようではなく、女の愛にもまさっていました。」(サムエル記下1章26節。戦いに倒れたヨナタンを悼むダヴィデの言葉)
こうした「解釈」は、同性同士の真に深く強い友情がどれほどしばしば誤解されてきたかを物語っています。そしてこれはダヴィデやヨナタンの問題ではなくて、「解釈者」の誤謬なのです。
「旧約聖書は普通の同性愛についてではなく、カナン人たちのいろいろな宗教に付随したホモセクシュアルの職業的売春について批判しているのだ」と主張する人たちもいます。旧約聖書の同性愛に対するよく知られた嫌悪が当時の周辺世界の異教の儀式に関係していたことはまちがいありません。そうしたひどい儀式には、偶像モロクに子供を犠牲としてささげることや、男女間の猥雑な性的行動も含まれていました。
しかし、聖書の否定しているあること(同性愛)が、聖書の否定しているもうひとつ別のこと(異教の儀式)に結びついているからといって、「それゆえ、それら両方ともが許容されていて、神様の御心に適ったことである」などと結論することはもちろんできるはずがありません。
テキストを暴力的に曲解しようとはしない限り、旧約聖書が同性愛を許可したり、少なくとも同性愛を否定しないようにすることは到底不可能です。イエス様の時代のユダヤ教は当然ながらすべての点においてトーラーの規定に従っていました。資料の成立年代を決定するのは容易ではないとはいえ、少なくとも後になって文書として記録保存された伝統によれば、もしも同性愛を強制された者が12歳以上であった場合には、同性愛を行った者たちは双方とも石で打ち殺されなければなりませんでした(サンヘドリン7,4)。一方では、イエス様の時代のユダヤ人たちは同性愛と戦わなければなりませんでした(レヴィの遺言17、ナフタリの遺言4)。同性愛という現象はすでに当時存在していたのです。そして、ユダヤ教はそれを厳しく禁じ、それと戦っていたのでした。
4.ギリシア・ローマ文明
古代ギリシア世界では、人がバイセクシュアル(異性愛と同性愛の両方を行うこと)であることは非常に一般的であり、多くの場合承認された生き方でもありました。前古典期および古典期におけるギリシア(紀元前480~330年)は「男の世界」であり、そこでは同性愛は適当な生活様式でもありました。レスボス島の大女流詩人サッフォーの有名な詩はある種の性的な行動に名前を提供しました。他の多くの叙情詩人たちもまたホモセクシュアル的な愛をほめ歌っています。同性愛的な生き方にとくに重要な意味をもたせていたのはスパルタです。そこでは、若い男の子たちの年齢階層はこの「国民的な教育」とあいまって定められていました。共に戦っている者たちを結びつけていたのは、しばしばホモセクシュアル的な絆でした。アテナイでは、職業売春に基づくぺデラスティア[2]は制限されました。当時、ホモセクシュアルについて「それは自然に反した行為ではないか」という倫理的な疑問を投げかける人もいました。同性愛は新しい命の誕生を目的とするものではなく、人間を欲望の奴隷とするものであるからです(プラトン 法律1,636C)。しかし、たとえばプラトンの対話篇「饗宴」では、同性愛はまったく自然なことであるかのように取り扱われています。同性愛がどの程度の「不道徳」とみなされたかについては、ホモセクシュアルな者たちの間の三角関係から生じた喧嘩に関して、リュシアスの書いた法廷でのスピーチからうかがい知ることができます。法廷で事件の関係者は自分の欲望を審判者たちの前であきらかにしなければならなくなって少し恥ずかしくなります。しかし、そこで問題になっているのは、「自分の肉体の欲望に身を任せてよいか」という哲学者たちが警告していたことがらにすぎず、同性愛自体はさほど深刻に取り扱われてはいません。それはちょっとした悪習以上のものではなかったのです。
羊飼いの詩で有名なテオクリトスは、それから何百年か後のギリシア社会では、同性愛がすでに当たり前のこととみなされていたことを証拠立てています。
ローマ文明の黎明期に生きた喜劇作家プラウトゥス(紀元前254年頃~約184年頃)は同時代の民衆の言葉を用い、彼らの生き方や考え方を作品に反映させています。彼はまだ同性愛を「ギリシア人の慣習」と呼んでいます。
しかし、それから約百年後には状況がまったく変わっていました。大詩人の中ではカトゥッルス、「正しい人」と称えられているヴェルギリウス、またホラティウスなどは同性愛をまったく自然なことがらとみなしています。道徳的な詩の中でホラティウスは、「若い男たちは奴隷の少年か少女を手に入れるまでは、妻を得たりしないように」と忠告しています。辛らつなマルティアリスは、ホモセクシュアル的な行動の中にいろいろと笑いを誘うような特徴のある人たちのことをあげつらっています。
紀元後1世紀においても同性愛に対する人々の態度は以前と変わらなかったように見受けられます。理論的にも実生活でもホモセクシュアルとバイセクシュアルは、ヘテロセクシュアル(男女間の性関係)と同様に承認されていました。つまり同性愛は人々から完全に認められた生き方だったのです。そして、このような世界の只中で新しく生れたキリスト教が躍進を始めたのでした。はたしてキリスト教はこの同性愛という問題に対してどのような態度をとるのでしょうか?
5.新約聖書
同性愛に対する新約聖書の一番重要な姿勢は、よく知られているように、ローマの信徒へのパウロの手紙の中にあります(1章24~28節)。1章18~32節でパウロは、異邦人たちが神様の御前で罪人であることを示しています。異邦人たちは、神様の創造のみわざを目にしていながらも、神様を創造主として崇拝しようとはしませんでした。それどころか、彼らは神様の栄光を人間と動物の像のかたちに代えてしまいました。異邦人たちが「活きておられる神様」を捨てたため、活きておられる神様もまた彼らをお捨てになりました。パウロによれば、たとえば異邦人たちがどれほどひどく神様から離れ去っているか、まさにホモセクシュアルの問題にはっきりあらわれています。
「それゆえ、神様は彼らを侮蔑すべき情欲にお渡しになりました。すなわち、彼らの中の女性は、その自然な性的関係を不自然なものに代えてしまいました。同様に、男もまた同じように女性との自然な性的関係を捨てて、互にその情欲の中で燃え、男性は男性に対してみだらな行為をし、そしてその迷妄の当然の報復を自分の身に受けています。」(1章26~27節)
使徒パウロを通して与えられている神様のこの御言葉の背景には、旧約聖書とパウロの時代のユダヤ教とのホモセクシュアルに対する変わることのない嫌悪があります。
同性愛の傾向のある人たちと、異性愛の傾向があるにもかかわらず自然な傾向を他のものに「代えた」人たちとを区別することによって、パウロの考え方を救い出そうとする試みもあります。しかし、このような試みは、ユダヤ人たちの最高法院を原子力の反対派と賛成派に分けるのと同じくらい「自然」なことといえるでしょう。つまり、このような区別はパウロにとって思いもよらないものです。
パウロは、当時の異邦人たちが深い迷妄に陥っていることを示す絶好の例を見つけたのでした。つまり、異邦人たちにとって自然で、美しく、洗練されたことがらは、神様の啓示と、選び分かたれた民の確信とに基づけば、不自然で、不道徳で、ひどいことなのです。
同性愛は、「悪い行い」として初代キリスト教会が挙げている「一覧表」の中に少なくとも3回は登場しています。
コリントの信徒への第1の手紙6章9節では、アルセノコイタイ(同性愛の性交において能動的な側)とマラコイ(同性愛の性交において受身の側)が区別されています。双方について「このようなことを行う者たちは神様の御国を継ぐことはできない」と言われています。「あなたがたは知らないのですか」というパウロの言葉は、このことがコリントの信徒たち皆にとって周知であることを示しています。
初代教会では、人々が洗礼を受けるときに新約聖書の中にある「何が悪い行いか」を列記したリストの内容について教えを受けていたのは、まずまちがいありません。このように、初代教会は、異性愛の乱用や窃盗と同じように、同性愛もまたクリスチャンにはふさわしくない生き方であることを教会に属する者ひとりひとりがはっきりと知るように、取り計らったのでした。
他の箇所は、テモテへの第1の手紙1章10節と、フィリピの信徒へのポリュカルポス[3]の手紙5章3節です。後者の手紙にはコリントの信徒への第1の手紙からの直接の引用が含まれています。これらの箇所は初代教会の考え方をはっきり示しています。すなわち、(結婚生活における)異性愛は神様の創造のみわざに適った振る舞いであり、それを通して神様は御自分の賜物を分け与えてくださいます。それに対して、同性愛は自然に反したことであり、いかなる場合であってもクリスチャンにはふさわしくない生き方です。
6.教会の歴史
歴史的に見ると、ヨーロッパではキリスト教が広まっていくにつれて、人々の性的な行動も変わっていきました。同性愛は公共の場から消し去られ、禁じられたおぞましい振る舞いであるとみなされるようになりました。にもかかわらず、同性愛は決して消えることがありませんでした。それをよく物語っているのが、クリスチャンの国々における同性愛に対する厳しい罰則規定です。しかし1900年代に入ってから、状況が変わり始めました。この変化がはたして真の福音を見つけたことによるものか、それとも新たなる異邦化(反キリスト教化)の力が強まってきていることのおそるべき証拠であるか、私たちはそれぞれ見極めていく必要があります。
7.結論
ルター派の教義学は、それが御言葉の堅い基盤のみによって支えられていることを誇りとしています。人間的な考え方はどんどん変わっていきます。しかし、神様の御言葉は決して変わることがありません。ルター派では、倫理あるいは信仰にかかわる問題は昔から二つのグループに分けられてきました。ある事柄については聖書にはっきりと指示を与える御言葉がありますが、また別のことがらについては聖書は沈黙しています。ある問題について聖書が沈黙を守り、明瞭な聖書の箇所に直接基づいた指示を見出せない場合には、こうした問題は「どちらでもよいこと」(アディアフォラ)と呼ばれます[4]。こうした問題については、クリスチャンは、愛に留まりつづけることを忘れない限り、自己の良心に従って活動してもよいのです。ところが、聖書が何かの問題について語っている場合には、その問題はあらゆる時代のすべてのクリスチャンにとって、すでに「解決済み」なのです。これが伝統的なルター派の理解です。私は誇りをもって私たちの教会の伝統を告白し支持します。このような立場からみるとき、聖書はすでに同性愛という問題についても疑問の余地なく解決を与えていると、私は理解しています。もちろん、同性愛で苦しみ、それと戦っている人たちの心のケアのためには特別な知恵が要求されますが、それについてはここで触れることはできません。
私は1984年にこのテーマについて神学生たちに話をしたことがあります。約束どおり「ホモセクシュアルのクリスチャンのための聖書研究会」からも話を聞きに来た人たちがいました。盛んな議論が交わされました。その聖書研究会のグループの学生たちは、自分たちの弱さを認めてもらうことを周りから要求しませんでした。彼らの意見によれば、同性愛はクリスチャンにとって何の悪いことでもないのです。彼らの議論の根拠になっている考え方は教会でなされてきた女性牧師制についての議論の展開と同じでした。すなわち、「聖書は同性愛について語ってはいないか、あるいは、仮に語っているとしても旧約聖書だけだ。もしも新約聖書も同性愛について語っていることを認めなければならない場合でも、見なさい、イエスはこの問題について一度も語っていないではないか。パウロはたんなる人間だった。聖書を文字通りに受け取ってはいけないのだ。人が天国へ行くのは、その人がヘテロセクシュアルだからではなく、人が地獄へ行くのはその人がホモセクシュアルだからというわけでもない。」
彼らとの議論はすべてまったくむだだったように思えます。彼らにとって聖書の御言葉には何の価値も権威もないのです。
おそるべきことに、フィンランドの教会の神学者たち自身が、大学やメディアを通じてこのような「論理」を学生たちにも一般の教会員にも教え込んできたのです。同性愛の問題は、女性牧師制や離婚した人の再婚を教会で司式することや制度としての同棲を教会として容認することと同じように、上記に挙げたような議論のやりくちで片付けられてきました。同性愛の危険についての聖書の教えを無視して教会員に「違うこと」を教えている者たちは、「羊の群れの中にいる、羊のなりをした狼」です。もしも私たち牧師や神学者が神様の御言葉を軽蔑するように人々に教えるならば、私たちはこの国民が聖書の神様の語りかけを聴くことができなくしてしまうのです。この国(フィンランド)には神様の律法によって自己の良心をとがめられ、キリストが十字架で確保してくださった恵みに感謝して満ち足りるような「罪人」がもはやほとんどいないのではないでしょうか。それは非常に危険な状態です。
あるリベラルな聖書学者は「同性愛と聖書の問題」というテーマを掲げました。こうした問題設定はある意味で本質をついています。まさしく具体的な聖書の箇所について、私たちが本当に「聖書的」であるか、それともたんなる「保守的」であるにすぎないのか、が試されます。私たちクリスチャンの使命は、「岩」の上に教会を築くこと、神様の御言葉という決して裏切らない基盤に立つことです。このようにしてのみ、教会の最も貴い宝、キリストの血の福音が混じりけなく純正に保たれるのです。
[1] たとえば、”Sexual Behavior in the Human Male”(1948).
[2] 成人の男と若者の男との間の性的な教育関係をさす。
[3] 使徒教父のひとり。
[4] 詳しくは、ルーテル教会信条集・一致信条書の中の和協信条・根本宣言第10条を参照のこと。
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