2008年9月19日金曜日

マルコによる福音書について 1章29~45節

病人たちの癒し 1章29~34節

イエス様の権威には「病人たちの癒し」という出来事も関係しています。シモン(ペテロのこと)の舅やほかの多くの病人は、「イエス様はまことの主が遣わされたお方であり、命を与えてくださる神様の代表者である」ことを目の当たりにしました。ここで再び、「デーモンはイエス様について証することを許されなかったこと」が語られます。これはいわゆる「メシアの秘密」に関係しています。[1] 


「イエス様の運動」の拡大 1章35~39節

イエス様のたった一日の活動によって、カペルナウムは騒乱に陥りました。皆イエス様を捜し求めましたが、無駄でした。イエス様は祈るために孤独な場所に引きこもられたのです。弟子たちがイエス様を見つけたとき、イエス様は彼らを隣村に連れ出し、そこで福音を説教されました。悪霊は退き、病人は癒されました。こうして「神様の火」がその地方に燃え広がって行きました。

この神様の火が燃え広がっていった最初の場所がガリラヤ地方の小さな町や村であったのは注目に値します。ガリラヤの大きな中心部でも、もちろんユダヤでも、イエス様はまだこの段階では説教なさってはいませんでした。


ライ病人の清め 1章40~45節

イエス様の時代のパレスチナには社会組織の外部に追いやられた人々がいました。私たちは、マルコによる福音書を通して、多くのこうしたグループに出会うことになります。
それらのうちのひとつはライ病人のグループです。ライ病はやっかいな不治の皮膚病とみなされていました。この病気に罹った者はほかの人たちから隔離・追放されました。後代のラビたちの教えを調べてみると、この追放は徹底的になされました。ときにはライ病人に対して石を投げつけるという手段もとられました。「人は何かの「罪」の結果としてライ病に罹るのだ」と人々は考えました。たとえば、「高慢な目、嘘をつく舌、罪のない者の血を流させる手、神様をないがしろにしたひどい考えを好む心、悪い行いへと急ぐ足、証人の立場にありながら恥知らずな嘘をつくこと、兄弟の間に怒りの火を掻き立てること」などという罪です。

イエス様はこのようなライ病の男を見て癒されました。こうすることでイエス様は「病人は他の人々よりも罪深く侮蔑されるべき存在だ」という考えを斥けられたのでした。「この癒しについて誰にも話してはいけない」という絶対的な禁止がここでも語られます。またしても「メシアの秘密」です!癒された男はイエス様の命令を無視して、イエス様の奇跡について皆に話して回りました。その後、イエス様は当時の町々の狭い道端で活動していくことをお止めになりました。人々があらゆるところか御自分に会いに来れるように、イエス様は荒野に留まるようになったのです。

[1] これについては序を参照のこと。