2025年8月25日月曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」2章1〜7節 福音のために労苦しなさい(その1)

 「神様のもの」としての生きかた

「テモテへの第二の手紙」2章

 

福音のために労苦しなさい(その1)

「テモテへの第二の手紙」2章1〜7節

 

「そこで、わたしの子よ。

あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、

強くなりなさい。」

(「テモテへの第二の手紙」2章1節、口語訳)

 

この箇所から、パウロはさまざまな奨励について順次述べていきます。

しかしそれに先立って、パウロはテモテに

それらの奨励が神様の恵みによってのみ実現できるものであることを

再確認するように促しています。


神様の助けと恵みがないかぎり、

私たちは神様の要求なさることを何一つ満たすことができないからです。

 

「そして、あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、

さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、

ゆだねなさい。」

(「テモテへの第二の手紙」2章2節、口語訳)

 

パウロは福音宣教が四つの段階から構成されていることを指摘します。


第一に、パウロは福音を神様からいただきました。


第二に、パウロは福音をテモテに宣べ伝えました。


第三に、テモテはこれから信頼できる人々に

福音を委ねていかなければなりません。


第四に、それを受けて彼らはさらに他の人々に福音を教えていくのです。

 

上節は原文に基づくと二通りの解釈ができます。


第一の解釈は、

テモテが福音を多くの証人を通じてパウロから聴いたというものです。


第二の解釈は、

多くの証人が傍で聞いている時に

パウロがテモテに福音を語ったというものです。


後者のケースでは、

テモテが同行していたパウロの伝道旅行のことか、

あるいはテモテが教会の責任者(牧師)に任命された時のことを

示唆しているものと考えられます。


テモテが牧師としての按手を受ける際に

パウロはテモテがこれから宣べ伝えていかなければならない

キリスト教信仰の福音を公に語ったのかもしれません

(「テモテへの第一の手紙」1章18節、4章14節、

「テモテへの第二の手紙」1章6、14節)。

2025年8月14日木曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」1章15〜18節 忠実な友と不忠実な友

 忠実な友と不忠実な友

「テモテへの第二の手紙」1章15〜18節

 

「あなたの知っているように、

アジヤにいる者たちは、皆わたしから離れて行った。

その中には、フゲロとヘルモゲネもいる。

どうか、主が、オネシポロの家にあわれみをたれて下さるように。

彼はたびたび、わたしを慰めてくれ、またわたしの鎖を恥とも思わないで、

ローマに着いた時には、熱心にわたしを捜しまわった末、

尋ね出してくれたのである。

どうか、主がかの日に、あわれみを彼に賜わるように。

――彼がエペソで、どれほどわたしに仕えてくれたかは、

だれよりもあなたがよく知っている。」

(「テモテへの第二の手紙」1章15〜18節、口語訳)

 

エフェソはアジヤ州の州都でした。

この箇所でパウロは自分の教会ではなく

手紙の受け取り手たちの教会の状況について述べています。

 

パウロは「皆わたしから離れて行った」と書いていますが、

これは誇張でしょう。

エフェソには少なくともオネシポロの家族がいましたし

(1章16節、4章19節)、

テモテはパウロに対して忠実を貫いたからです。

 

エフェソとローマの間で

パウロの近況についての情報が共有されていたことに注目しましょう。

現代よりもはるかに時間がかかったものの、

ローマ帝国は当時の社会としては

高度に発達した情報化社会だったとも言えます。

 

フゲロとヘルモゲネ(1章15節)について私たちは何も知りません。

パウロがここで彼らの名前を挙げたのは、

少なくとも彼らは忠実でいてくれるだろう

というパウロの期待のあらわれなのかもしれません。

 

アジヤに住んでいる者は、ユダヤ人もギリシヤ人も皆、

パウロの宣教した主の福音を聞く機会がありました

(「使徒言行録」19章10節)。

にもかかわらず、

エフェソの信徒たちは使徒パウロを裏切り、失望させました。


パウロは第三次伝道旅行の際に

キリスト信仰から離反する者たちが出てくることを予見していました

(「使徒言行録」20章28〜29節)。

残念ながら、その通りになってしまいました。

 

オネシポロ(1章16節)はエフェソの商人だったようです。

彼はローマに旅行した時に

パウロの投獄されている牢屋を捜し当てました。

 

パウロが最初にローマで投獄された時

(「使徒言行録」28章30〜31節)とは異なり、

今回のパウロの投獄は鎖に繋がれる過酷なものでした

(2章9節。「エフェソの信徒への手紙」6章20節も参考になります)。

 

この手紙が書かれた時点で

オネシポロがすでに死んでいたかどうかは不明です。


ローマ・カトリック教会は

死者たちのために祈ることの聖書的な根拠として

例えば上掲の1章18節

(「どうか、主がかの日に、あわれみを彼に賜わるように。

――彼がエペソで、どれほどわたしに仕えてくれたかは、

だれよりもあなたがよく知っている。」)

を挙げています。


オネシポロがすでに死んでいたと解釈する場合には、

パウロはこの節で死者のために祈ったことになります。


死者のために祈ってよいかどうかという質問を受けた

宗教改革者マルティン・ルターは

「一度か二度なら祈ってもかまわないが、

その後は主に死者をお委ねしなさい!」

と答えています。

 

オネシポロがパウロに仕えた(1章18節)のは

パウロの第三次伝道旅行の時か、あるいは

パウロが出獄後にエフェソを訪問した時のことであったと思われます

(「テモテへの第一の手紙」1章3節)。

 

この世における福音伝道は

極めて困難な状況に追い込まれることがあります

(「ルカによる福音書」18章8節が参考になります)。


しかし神様は福音がこの世から完全に消滅することを決して容認なさいません。


キリストに従うようになった人々も含めて全人類を惑わすために、

サタンはあらゆる手段を講じます

(「コリントの信徒への第二の手紙」11章14節、

「ペテロの第一の手紙」5章8節)。

ですから、

私たちは神様の敵対者(サタン)の力を軽視せずに戦うために

神様からの支えを祈り願うべきなのです。

 

「そして、あなたにゆだねられている尊いものを、

わたしたちの内に宿っている聖霊によって守りなさい。」

(「テモテへの第二の手紙」1章14節、口語訳)

2025年7月4日金曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」1章6〜14節 救いの歴史の連鎖を構成するものとして(その4)

救いの歴史の連鎖を構成するものとして(その4)

「テモテへの第二の手紙」1章6〜14節

 

罪の報酬は死です

(「ローマの信徒への手紙」6章23節、

「エフェソの信徒への手紙」2章1〜2節)。


しかしキリストはサタンに対して勝利を収めることで

私たちを「活ける者」としてくださったのです。


死はもはや「キリストのもの」を打ち負かすことができません

(「ローマの信徒への手紙」8章38〜39節)。


キリスト信仰者たちは

(キリストの再臨の時にはすでにこの世を去っていた

キリスト信仰者たちも含めて)、

たとえ肉体的に一旦は死ぬとしても、

永遠に死んだままにはならないし

(「ヨハネによる福音書」11章25〜26節)、

復活した後では

もはや永遠に神様と離れてしまう「第二の死」を経験することもありません

(「ヨハネの黙示録」2章11節)。

 

「わたしは、この福音のために立てられて、

その宣教者、使徒、教師になった。」

(「テモテへの第二の手紙」1章11節、口語訳)

 

パウロは福音の宣教者としての召命を受けていました。

自分に課せられた福音伝道が終わりに近づいていたパウロは

テモテにその仕事を引き継ぎました(1章13〜14節)。

キリスト信仰者は皆、福音を宣教していく召命を受けています。

この使命は

(礼拝で説教し聖礼典を施行することを特別の任務とする)

教会の牧師たちにのみ与えられているものではありません。

宗教改革者マルティン・ルターはこのことについて

「キリスト信仰者は皆、一般的な意味での「牧者」である」

というように言い表しました。

 

パウロは自分が囚われの身になっていることを恥じてはいません

(1章12節)。

それに対して、

神様から受けた召命に不忠実な態度を恥ずべきものとみなしています

(1章14節、「テモテへの第一の手紙」6章20節)。

 

救いの歴史についてのパウロの説明は

次の五段階にまとめることができるでしょう

(1章9〜10節)。

 

1)この世の始まる前に神様によって定められた人類の救いの計画


2)世の罪を帳消しにするためにキリストがこの世に人としてお生まれになる


3)神様からの招きを罪人たちに宣べ伝えなければならない


4)聖霊様はキリスト信仰者たちの内で働かれて彼らを聖なるものとなさる


5)キリスト信仰者は天国に着いた時にようやく完全なものとされ、

罪と死の力に対する最終的な勝利を収める

2025年6月30日月曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」1章6〜14節 救いの歴史の連鎖を構成するものとして(その3)

 救いの歴史の連鎖を構成するものとして

「テモテへの第二の手紙」1章6〜14節(その3)

  

「神はわたしたちを救い、

聖なる招きをもって召して下さったのであるが、

それは、わたしたちのわざによるのではなく、

神ご自身の計画に基き、

また、永遠の昔にキリスト・イエスにあって

わたしたちに賜わっていた恵み、

そして今や、

わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって

明らかにされた恵みによるのである。

キリストは死を滅ぼし、

福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。」

(「テモテへの第二の手紙」1章9〜10節、口語訳)

 

神様の御国への聖なる招きと救いについて述べている上掲の箇所は

当時の教会の洗礼式の式文の一部であったと考えられています。

 

救いはひとえに神様の恵みによるものであり、

私たち人間の行いにはまったく関係がありません(1章9節)。


ただ神様の恵みのゆえに

私たちは神様の子どもとして救いにあずかるように招かれているのです

(「ローマの信徒への手紙」3章28節、

「エフェソの信徒への手紙」2章8〜9節、

「テトスへの手紙」3章5節)。

 

これと同じことは

神様がこの世の始まる前にすでに

人間のための救いの歴史について決めておられたことにもうかがえます。


人類を救われる神様の御計画は

人が誰ひとり何ひとつ行わないうちに

すでに決められていたのです

(「エフェソの信徒への手紙」1章4節、

「ペテロの第一の手紙」1章20節)。

 

神様による選びは人間の理性では把握できません。

しかしそれは聖書に忠実な教えなのです。


宗教改革者マルティン・ルターは

当時の高名な人文主義者エラスムスの著書「自由意志論」を反駁するために

「奴隷的意志」という著書によってこの難問と取り組みました。

 

神様からすれば、

最初の人間たちが罪に堕落したこと(「創世記」3章1〜19節)は

予想外の出来事ではありませんでした。

神様はあらかじめそのような事態を想定しておられたからです。


全人類が罪へ堕落したために猛威を振るうようになった破滅の力は

ゴルゴタの十字架において無力化されました。


十字架にかけられたキリストが

すべての人のすべての罪のために身代わりに死んでくださったからです

(「ヨハネの第一の手紙」2章2節)。


イエス様は私たちを圧倒的な罪の力から解放して

(「テモテへの第二の手紙」1章10節、

「テトスへの手紙」1章4節、2章13節、3章6節)、

暗闇から光へと救い出してくださいました

(「テモテへの第一の手紙」1章1節、2章3節、4章10節、

「テトスへの手紙」1章3節、2章10節、3章4節)。

2025年6月9日月曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」1章6〜14節 救いの歴史の連鎖を構成するものとして(その2)

救いの歴史の連鎖を構成するものとして(その2)

「テモテへの第二の手紙」1章6〜14節

 

「というのは、

神がわたしたちに下さったのは、

臆する霊ではなく、

力と愛と慎みとの霊なのである。」

(「テモテへの第二の手紙」1章7節、口語訳)

 

テモテは内向的な性格だったようです。

パウロはコリントの信徒たちにテモテを軽んじないように忠告しています

(「コリントの信徒への第一の手紙」16章10〜11節。

また「テモテへの第一の手紙」4章12節も参考になります)。

 

「だから、あなたは、

わたしたちの主のあかしをすることや、

わたしが主の囚人であることを、

決して恥ずかしく思ってはならない。

むしろ、神の力にささえられて、

福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい。」

(「テモテへの第二の手紙」1章8節、口語訳)

 

パウロは

自分がテモテからも見捨てられるのではないか

危惧していたふしがあります

(1章15節。

また「ヨハネによる福音書」6章67節も参考になります)。


異端教師たちが高い人気を誇る一方で、

あくまでも正しい教えにこだわるパウロは

教会員たちからも疎まれる存在だったのかもしれません。

教会の長い歴史の中では、

大部分の教会が偽の信仰に陥り

ごく一部の少数派だけが正しい信仰に留まる

という異常事態が発生したことがあります。

300年代のアリウス派の異端や、

とりわけ宗教改革以前のローマ・カトリック教会などが

その典型的な事例です。

 

上掲の節にもあるように、

パウロは福音を恥じませんでした

(「ローマの信徒への手紙」1章16節、

「コリントの信徒への第一の手紙」2章1〜10節)。

 

テモテも福音のゆえに苦しみを受けたことが上節からは伝わってきます。

「ヘブライの信徒への手紙」13章23節は

モテも囚人となった経験があることを示唆しています。

 

パウロは囚人となることを

キリストの証人の甘受すべき試練のうちのひとつとみなしていました

(「エフェソの信徒への手紙」3章1節、4章1節、

「フィレモンへの手紙」1節、9節)。


しかしこの苦難も

神様からのお助け(「神の力」)によってのみ

耐え忍ぶことができるものです。

2025年6月5日木曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」1章6〜14節 救いの歴史の連鎖を構成するものとして(その1)

 救いの歴史の連鎖を構成するものとして(その1)

「テモテへの第二の手紙」1章6〜14節

 

「こういうわけで、あなたに注意したい。

わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、

再び燃えたたせなさい。」

(「テモテへの第二の手紙」1章6節、口語訳)

 

福音を説教する教会の責任者(牧師)になる按手を

パウロから受けた時に

テモテがどのような「神の賜物」を授けられたのか私たちは知りません

(「テモテへの第一の手紙」4章14節)。

もしかしたらこの賜物は「牧師職」それ自体を指していたのかもしれません。

パウロは教会職を「恵みの賜物」とみなしていたからです

(「ローマの信徒への手紙」12章6〜8節、

「コリントの信徒への第一の手紙」12章4〜5節)。

 

ローマ・カトリック教会は上節などを根拠にして

牧師職が聖礼典(サクラメント)であるという教義的立場をとっています

(「エフェソの信徒への手紙」4章7、11節も参照してください)。


それに対して宗教改革者マルティン・ルターは

聖礼典では神様の命じる御言葉に具体的な物質が結びついていなければならない

と教えました。

それゆえルターは牧師職ばかりか

改悛(牧師に罪を告白し牧師から罪の赦しの宣言を受けること)さえも

聖礼典としては認めようとしませんでした。


彼が明確に聖礼典として認めたのは

洗礼と聖餐の二つだけでした。


御言葉は

洗礼では水と

聖餐ではパンやぶどう酒と

分かちがたく結びついているからです。

2025年5月19日月曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」1章3〜5節  家族から受け継いだもの

 家族から受け継いだもの

「テモテへの第二の手紙」1章3〜5節

 

テモテの母と祖母はユダヤ人でした

(「使徒言行録」16章1節)。

ユダヤ人の母親を持つ者はユダヤ人とみなされますが、

テモテの父は異邦人であったため、

おそらく父親が死んでからようやく

テモテは割礼を受けて正式にユダヤ人になることができたのだと思われます

(「使徒言行録」16章3節)。

 

牧会書簡がパウロの死後書かれたと主張する人々は

テモテの母と祖母に関する記述をその証拠として持ち出します。

この手紙が書かれた時点で

すでに三代にわたるキリスト信仰者の家系が存在していることが

この説の根拠とされます。


しかしこの手紙が述べているのは

当時一般的だったことについてではなく、

あくまでもテモテの母と祖母についてです。


さらに注目すべきなのは、

パウロが1章3節で彼自身の先祖についても

同じ神様を信じる人々とみなしているという点です。

「真のユダヤ人」とは

正しく信じている者、

すなわち神様の遣わされるメシア(救い主)を待望している者である

とパウロは考えていたのです

(「使徒言行録」24章14節および26章6節も参照してください)。

 

今日でもユダヤ人がキリスト信仰者になる時には

自分のルーツを捨てるのではなく、

逆に自分のルーツに帰還することを意味します。

 

「わたしは、日夜、祈の中で、絶えずあなたのことを思い出しては、

きよい良心をもって先祖以来つかえている神に感謝している。」

(「テモテへの第二の手紙」1章3節、口語訳)

 

上掲の節だけでなく他の多くの手紙でも

パウロは手紙の受け取り手たちの信仰について神様に感謝を捧げています

(「ローマの信徒への手紙」1章8節、

「コリントの信徒への第一の手紙」1章4節、

「フィリピの信徒への手紙」1章3〜4節、

「コロサイの信徒への手紙」1章3節、

「テサロニケの信徒への第一の手紙」1章2節、

「テサロニケの信徒への第二の手紙」1章3節)。

 

またパウロは自分でも実行しているように

テサロニケのキリスト信仰者たちにも

絶えず祈ることを奨励しています

(「テサロニケの信徒への第一の手紙」3章10節、5章17節)。

 

「わたしは、あなたの涙をおぼえており、

あなたに会って喜びで満たされたいと、切に願っている。」

(「テモテへの第二の手紙」1章4節、口語訳)

 

この「涙」とは

パウロがテモテをエフェソに残していった時に流した

別れの涙のことだと思われます

(「テモテへの第一の手紙」1章3節、

「使徒言行録」20章37〜38節および21章13節)。

 

「また、あなたがいだいている偽りのない信仰を思い起している。

この信仰は、

まずあなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿ったものであったが、

今あなたにも宿っていると、わたしは確信している。」

(「テモテへの第二の手紙」1章5節、口語訳)

 

この節はテモテの信仰が揺らいでいたことを示唆するものなのでしょうか。

それともテモテは

キリスト教がユダヤ教の正統で純粋な「継承者」であることに

確信がもてなかったのでしょうか。

ともあれ、この時のテモテはパウロの励ましを必要としていたのです。

それも当然でした。

テモテは異端教師たちやその他の問題を抱える

教会を指導する立場にあったからです。

2025年5月16日金曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」1章1〜2節 「愛する子テモテへ」

「愛する子テモテへ」

「テモテへの第二の手紙」1章1〜2節

 

「神の御旨により、

キリスト・イエスにあるいのちの約束によって立てられた

キリスト・イエスの使徒パウロから、愛する子テモテへ。

父なる神とわたしたちの主キリスト・イエスから、

恵みとあわれみと平安とが、あなたにあるように。」

(「テモテへの第二の手紙」1章1〜2節、口語訳)

 

この手紙のはじめの挨拶は

「テモテへの第一の手紙」と「コリントの信徒への第一の手紙」の

はじめの挨拶とよく似ています。

 

パウロは人生の終わりが近いことを知っていました(4章6〜7節)。

しかし彼にとってそれは来るべき永遠のいのちへの移行を意味していました

(1章1節のほかに

「コリントの信徒への第二の手紙」5章1〜10節も参照してください)。

 

テモテはパウロにとって霊的・信仰的な意味で愛する息子でした(1章2節)。

パウロは「コリントの信徒への第一の手紙」で次のように言っています。

 

「わたしがこのようなことを書くのは、

あなたがたをはずかしめるためではなく、

むしろ、わたしの愛児としてさとすためである。

たといあなたがたに、

キリストにある養育掛が一万人あったとしても、

父が多くあるのではない。

キリスト・イエスにあって、

福音によりあなたがたを生んだのは、

わたしなのである。 

(「コリントの信徒への第一の手紙」4章14〜15節、口語訳)

 

テモテはパウロがはじめてルステラを訪れた時に

キリスト信仰者になったのでしょう(「使徒言行録」14章6〜7節)。

次の引用箇所にあるように、

パウロが第二次宣教旅行でふたたびルステラを訪れた時には

すでにテモテはキリスト信仰者になっていたからです。

 

「それから、彼(パウロ)はデルベに行き、次にルステラに行った。

そこにテモテという名の弟子がいた。

信者のユダヤ婦人を母とし、ギリシヤ人を父としており、

ルステラとイコニオムの兄弟たちの間で、評判のよい人物であった。

パウロはこのテモテを連れて行きたかったので、

その地方にいるユダヤ人の手前、まず彼に割礼を受けさせた。

彼の父がギリシヤ人であることは、みんな知っていたからである。」

(「使徒言行録」16章1〜3節、口語訳)。

2025年4月28日月曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 告別の手紙(その2)

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック

告別の手紙(その2)

 

この手紙の書かれた当時のパウロの状況を考えてみましょう。

例えばスウェーデンの神学者Bo Giertzによる説明を踏まえると

おおよそ次のようにまとめるとことができるでしょう。

 

パウロはテモテをエフェソに残してマケドニヤに旅し、

そこで「テモテへの第一の手紙」を書いた。


その後で彼はクレタを訪れ、そこにテトスを残した

(ただしパウロはエフェソを訪問する以前に

クレタをすでに訪れていた可能性もある)。


クレタから彼はふたたびエフェソに赴き、そこでテモテと再会した

(「テモテへの第一の手紙」3章14節を参照のこと)。


そこから彼はミレトに行き、

病気になったトロピモはそこに留まることになった

(4章20節)。


ミレトからの旅はトロアスを通ってニコポリへと続けられたものと思われる

(「テトスへの手紙」3章12節)。


パウロはさらにイタリヤへと向かった。


ただし、パウロはローマに着いてから捕らえられたのか、

それともすでにクレタで捕まってそこからローマに連行されたのかは

はっきりしない。

 

ローマでパウロは死刑の判決を受けました

(4章6〜7節)。

後にローマの教会長となる教会教父クレメンスは

パウロの死刑が剣によって執行されたと記しています。

これはローマ市民に対する死刑執行法によるものでした

(「使徒言行録」22章25〜29節には

パウロがローマ市民であったことが記されています)。

 

教父ヒエロニュムスはローマ皇帝ネロの在任14年目すなわち西暦68年に

ペテロもパウロも死刑に処されたと記しています。

そしてネロは同年6月8日に皇帝の座を追われ、翌日に自殺しています。

 

「テモテへの第二の手紙」は使徒パウロの死の少し前に書かれています。

彼の裁判はすでに済んでいたことがこの手紙からわかるからです

(4章16節)。

おそらくパウロは死刑の執行を待つばかりの身となっていたのでしょう

(4章6〜7節)。

 

この手紙の末尾の「恵みが、あなたがたと共にあるように。」は

パウロが書き記し現存している最後の言葉の一つであると思われます。