2025年3月20日木曜日

「テモテへの第一の手紙」ガイドブック 「テモテへの第一の手紙」6章17〜19節  富の危険

 富の危険

「テモテへの第一の手紙」6章17〜19節

 

「この世で富んでいる者たちに、命じなさい。

高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、

むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、

のぞみをおくように、」

(「テモテへの第一の手紙」6章17節、口語訳)

 

初期の教会のキリスト信仰者たちの大多数は貧しかったのですが、

この節は経済的に余裕のある教会員たちもいたことを明かしています。

富裕者たちもキリスト教を信じるようになったからです

(「ヤコブの手紙」1章9〜11節、2章1〜4節、5章1〜6節。

「ローマの信徒への手紙」12章16節)。

 

人間には、富のおかげで

自分が神様から離れても自立できると思い込んで

傲慢になってしまう危険があります

(「申命記」8章14節、「エゼキエル書」28章5節)。


しかし富は一晩で消え失せることもありうるような儚いものにすぎません

(「箴言」23章5節、「マタイによる福音書」6章19〜21節)。


人間は朽ちる物などにではなく

活ける神様にこそ信頼を寄せるべきなのです

(「エレミヤ書」9章23〜24節)。

 

神様は高慢な者には敵対し、へりくだる者には恵みを賜ります

(「箴言」3章34節)。

神様が高慢な者に敵対なさるのは、

高慢さには「自分は神に依存せずに独立して生きている」

という考えかたが結びついているからです

(「ローマの信徒への手紙」11章20節)。

 

富はそれ自体としてみれば悪いものではありません。

問題なのは富に対する私たち人間の態度なのです。


もしも富を他の人たちを助けるために用いたいと思うのなら、

私たちは惜しみなく豊かに分け与えてくださる神様の御意思に

従っていることになります

(「ローマの信徒への手紙」10章12節。

「エフェソの信徒への手紙」1章7〜8節、

「フィリピの信徒への手紙」4章19節、

「ヘブライの信徒への手紙」13章15〜16節も参考になります)。

 

人は自分が神様からいただいた賜物や持ち物の管理者にすぎないことを

わきまえるべきです

(「ルカによる福音書」16章10〜11節も参考になります)。


私たちは何かを携えたままこの世を離れることはできません

(「テモテへの第一の手紙」6章7節)。

 

絶えることなく持続する希望は、

物にではなく神様のみに基づくものでしかありえません

(6章17節、「テモテへの第二の手紙」1章9〜10節)。

 

「また、良い行いをし、良いわざに富み、惜しみなく施し、

人に分け与えることを喜び、こうして、真のいのちを得るために、

未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように、命じなさい。」

(「テモテへの第一の手紙」6章18〜19節、口語訳)

 

人は自分の持ち物を分け与えることによって

神様の御国に宝を積むことになります

(「マタイによる福音書」6章19〜24節、

「ルカによる福音書」12章16〜21節)。

しかし、もしも私たちの宝がこの世的なものであるなら、

私たちの心も神様にではなくこの世に執着していることになります

(「ルカによる福音書」12章33〜34節)。

 

「真のいのち」とは永遠のいのちのことです(6章12節)。

 

神様が与えてくださるこの世での賜物とのかかわりにおいては、

キリスト信仰者を脅かす次の四つの危険が存在します。

 

a. 金銭へのまちがった信頼をおく物質主義(6章17節)

b. 神様からの賜物を受け入れることを拒否する禁欲主義(4章3節)

c. 金銭欲(6章10節)

d. 利己主義(6章5節)

 

これらと正反対のものとしてパウロは

賜物に対する次の四つの正しい態度を提示しています。

 

a. 単純な生きかた(6章8節)

b. 神様からの賜物に感謝する心(4章4節)

c. 神様からいただくもので満足する心(6章8節)

d. 気前の良さ(6章18節)