「テモテへの第二の手紙」ガイドブック
フィンランド語版執筆者 パシ・フヤネン
(フィンランド・ルーテル福音協会、牧師)
日本語版翻訳・編集者 高木賢
(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)
聖書の引用は原則として口語訳によっています。
例えば「2章3節」のように章節のみが記されている場合には
「テモテへの第二の手紙」における該当箇所を指しています。
ただし「「使徒言行録」2章3節および3章5節」などと記されている場合には
後者も「使徒言行録」からの引用です。
本文中に出てくる使徒教父文書「コリントの信徒への第一のクレメンスの手紙」
からの引用箇所は
Die Apostolischen Väter: Griechish-deutsche Parallelausgabe.
J.C.B.Mohr (Paul Siebeck) Tübingen 1992に基づく私訳です。
日本語版は内容や表現に関して一部フィンランド語版と相違しています。
「テモテへの第二の手紙」ガイドブックの内容
「テモテへの第二の手紙」1章 救いの基盤となるもの
「テモテへの第二の手紙」2章 「神様のもの」として生活すること
「テモテへの第二の手紙」3章 終わりの時における信仰生活
「テモテへの第二の手紙」4章 忍耐の勧め
「テモテへの第二の手紙」について
牧会書簡および「テモテへの手紙」の概要については
「テモテへの第一の手紙」ガイドブックの冒頭で説明しました。
https://kentakaki.blogspot.com/2023/10/blog-post.html
https://kentakaki.blogspot.com/2023/10/blog-post_13.html
https://kentakaki.blogspot.com/2023/10/blog-post_31.html
告別の手紙(その1)
「テモテへの第二の手紙」は「パウロの遺書」と呼んでも差し支えありません。
死刑の執行を間近に控えたパウロの記した最後の手紙だったからです
(4章6〜8節)。
パウロは人生で何度か囚人になったことがありますが、
今回の投獄生活は以前よりも過酷でした
(以前のケースについては
「使徒言行録」28章30〜31節に記されています)。
パウロが鎖に繋がれていることや(2章9節)、
ローマに着いた友人たちが熱心に捜しまわった末に
ようやくパウロを尋ね出すことができたことからも
その厳しさが推察できます(1章17節)。
パウロは孤独でした。
友人や同僚の中には
パウロを見捨てた者たちもいましたし
(1章15節、4章10、16節)、
福音伝道のために他の場所に出かけていた者たちもいました(4章10節)。
ただ医者のルカだけがパウロのもとに留まっていました(4章11節)。
パウロはテモテと会いたがり(1章4節)、
テモテがパウロのもとを訪れてくれるように、
またその際にはトロアスに以前パウロが残してきた上着や書物
(とくに羊皮紙のもの)を携えてきてくれるように頼んでいます
(4章9、13、21節)。
とはいえ、
孤独感だけがパウロにこの手紙を書かせた唯一の動機だったのではありません。
この手紙でパウロは23人もの名前を挙げています。
死が近づく中で使徒パウロは
キリスト教会とキリスト信仰者ひとりひとりのことに心を配っていたのです。
この手紙でもパウロはテモテに対して
異端の教えに気をつけるように忠告を与えています(2章23節)。